主日礼拝説教「イエス・キリストの名によって」

日本基督教団藤沢教会 2006625

14主の霊はサウルから離れ、主から来る悪霊が彼をさいなむようになった。15サウルの家臣はサウルに勧めた。「あなたをさいなむのは神からの悪霊でしょう。16王様、御前に仕えるこの僕どもにお命じになり、竪琴を上手に奏でる者を探させてください。神からの悪霊が王様を襲うとき、おそばで彼の奏でる竪琴が王様の御気分を良くするでしょう。」17サウルは家臣に命じた。「わたしのために竪琴の名手を見つけ出して、連れて来なさい。」18従者の一人が答えた。「わたしが会ったベツレヘムの人エッサイの息子は竪琴を巧みに奏でるうえに、勇敢な戦士で、戦術の心得もあり、しかも、言葉に分別があって外見も良く、まさに主が共におられる人です。」19サウルは、エッサイに使者を立てて言った。「あなたの息子で、羊の番をするダビデを、わたしのもとによこしなさい。」20エッサイは、パンを積んだろばとぶどう酒の入った革袋と子山羊一匹を用意し、息子ダビデに持たせてサウルに送った。21ダビデはサウルのもとに来て、彼に仕えた。王はダビデが大層気に入り、王の武器を持つ者に取り立てた。22サウルはエッサイに言い送った。「ダビデをわたしに仕えさせるように。彼は、わたしの心に適った。」23神の霊がサウルを襲うたびに、ダビデが傍らで竪琴を奏でると、サウルは心が安まって気分が良くなり、悪霊は彼を離れた。        (サムエル記上 161423節)

 

16わたしたちは、祈りの場所に行く途中、占いの霊に取りつかれている女奴隷に出会った。この女は、占いをして主人たちに多くの利益を得させていた。17彼女は、パウロやわたしたちの後ろについて来てこう叫ぶのであった。「この人たちは、いと高き神の僕で、皆さんに救いの道を宣べ伝えているのです。」18彼女がこんなことを幾日も繰り返すので、パウロはたまりかねて振り向き、その霊に言った。「イエス・キリストの名によって命じる。この女から出て行け。」すると即座に、霊が彼女から出て行った。19ところが、この女の主人たちは、金もうけの望みがなくなってしまったことを知り、パウロとシラスを捕らえ、役人に引き渡すために広場へ引き立てて行った。20そして、二人を高官たちに引き渡してこう言った。「この者たちはユダヤ人で、わたしたちの町を混乱させております。21ローマ帝国の市民であるわたしたちが受け入れることも、実行することも許されない風習を宣伝しております。」22群衆も一緒になって二人を責め立てたので、高官たちは二人の衣服をはぎ取り、「鞭で打て」と命じた。23そして、何度も鞭で打ってから二人を牢に投げ込み、看守に厳重に見張るように命じた。24この命令を受けた看守は、二人をいちばん奥の牢に入れて、足には木の足枷をはめておいた。                            (使徒言行録 161624節)

 

新しい宣教計画へ

使徒言行録は、ペンテコステの日に聖霊降臨によって誕生した新しい共同体、《キリストの教会》の初期の歩みを伝えます。それは、キリストの復活を信じた弟子たちが、神の聖霊を受けて力を得、出て行って、神の御業を大胆に宣べ伝えた歩みでした。

この初代教会の歩みの中で、大きな足跡を残した伝道者の一人が、パウロです。パウロは、地中海世界を飛び回り、ユダヤ人ばかりでなく、多くの非ユダヤ人、いわゆる異邦人にキリストの福音を宣教して、多くの教会を立ち上げました。

そのパウロが、自分の宣教計画の見直しを余儀なくされたことがありました。バルナバという先輩伝道者との間で意見の相違が生じて、別行動を取るようになった(使15:36~41)後のことです。パウロは、かつてバルナバらと共に立ち上げてきた教会を巡っていました。ところが、あるところで御言葉を語ることを聖霊から禁じられ(使16:6)るという経験をします。そこで、計画を微調整して進んでいこうとしますが、目的地に入っていこうとすると、またもやイエスの霊がそれを許さな(16:7)いという経験をするのです。計画が思い通りに進まなくなり、頓挫してしまうのです。(私たちの計画も、しばしばそういうものです)。

しかし、次の計画のスケジュールも立たずに足止めを食らっている中で、パウロはひとつの幻を見ます。

その夜、パウロは幻を見た。その中で一人のマケドニア人が立って、「マケドニア州にわたって来て、わたしたちを助けてください」と言ってパウロに願った(16:9)

パウロ一行は、この幻を神の召しだと確信いたします(16:10)。そして、今まで彼らが宣教計画に挙げてもいなかった新しい宣教地、マケドニア、そしてギリシアへと渡っていくことになったのでした。

パウロらにとって、この計画変更は、いかにも大きな転機であったのに違いありません。彼らは、アジアから飛び出して、ヨーロッパへと乗り込んでいったのです。ギリシア=ローマ文明の周辺地から、今や、その中心地たるヨーロッパへと、彼らの宣教の歩みは導かれていったのです。計画が思い通りに進まなくなったときに、そこに神の聖霊の介入をただちに見ることは、難しいことかもしれません。しかし、そこに聖霊の介入を見たとき、パウロらは、新しい、しかも大きな計画の幻=ビジョンを与えられ、この転機を乗り切ったのです。

 

フィリピ滞在

パウロらのヨーロッパ宣教の最初は、フィリピという都市に赴くことでした。

パウロら一行は、この町でユダヤ人の会堂を見つけることはできません。フィリピの町には、会堂を持つのに必要な人数のユダヤ人がいなかったのか、あるいは、ユダヤ人が会堂を建てることが許されなかったのか、パウロらは、安息日になると、川岸にあるユダヤ人の祈りの場所(16:13)を探し出して、そこで宣教の第一声を上げることになったのです。それでも、そこに集まっていた婦人たちに話をしたところ、紫布商人の婦人リディアが信仰に入り、この家族をフィリピの教会の礎とすることができたのでした(16:14~15)

リディアは、パウロら一行を自分の家に招待して宿泊させます。早くもフィリピ教会が立ち上げられた、と言ってよいでしょう。会堂もないような町での宣教を始めたばかりのパウロらにとっては、思いがけず早い展開であったかも知れません。しかし、そのように幸先のよいスタートを切ったにもかかわらず、彼らのフィリピ滞在は、わずか数日間で終わってしまいます(16:12)。それは、パウロらの思いもよらないところから、事態が急展開することになったからです。

恐らく、彼らがフィリピに滞在し始めて数日目のことです。彼らは、リディアと出会った祈りの場所に行く途中、占いの霊に取りつかれている女奴隷に出会(16)います。パウロは、はじめ、この女奴隷を無視していたようです。ところが、この女奴隷は、後ろについて来て、「この人たちは、いと高き神の僕で、皆さんに救いの道を宣べ伝えているのです」(17)と、しつこく繰り返すのでした。パウロらは、これにたまりかねて、その女奴隷に取りついている占いの霊を追い出してしまうのですが(18)、これが女奴隷の主人たちの怒りを招きます。これまで、この女奴隷の占いによって多くの利益を得ていたからです。パウロらは、この主人たちに訴えられ、当局に逮捕拘禁、しかも鞭打ちまでされることになります(19~24)。パウロは、自らがローマ帝国の市民権を持っていることを訴え出て、これが不当な逮捕、不当な罰であることを高官たちに認めさせ、わびさせますが、釈放と同時に町から出て行くことを求められ、結局、パウロらは、数日間の滞在でフィリピを出発しなければならないことになったのです(25~40)

何とも急な展開です。新しい幻(ビジョン)を与えられての新しい計画の第一歩としては、全く不本意な進み方となってしまったかのようです。いや、世間の常識に照らせば、パウロらのフィリピ宣教は、準備も計画性も十分でなかったし、危機管理も不十分だったから、わずか数日間で終わってしまったのだ、と評価できるのかもしれません。しかし、聖書は、この数日間の急展開を、むしろ神のご計画の中で必要な展開であったと告げるのです。この展開の中で、フィリピの教会の礎となったリディアの家族、そして、パウロらが捕らえられていた牢の看守もまた、家族で信仰に入り、フィリピの教会のもう一つの礎となったのです。

フィリピにキリストの教会を立ち上げるという神のご計画のスケジュールは、このようなものでした。パウロらが、聖霊の導きのうちに、神の「時間」を受け入れて立ち動いたとき、神のフィリピにおけるご計画は、実現したのです。私たちは、あまりに物事が急に進んでいってしまうとき、自分が取り残されてしまうような不安から、その事柄を受け入れるのが難しく思うものかもしれません。けれども、自分の計画が思い通りに進まないときに神の聖霊の介入を見るように、物事が自分の思いを越えて進んでいくときにも、聖霊の御業を見るのです。いや、聖霊を見る余裕もないまま、ただ、パウロのように、イエス・キリストの御名を語りつつ、物事の進んでいくのに着いていくだけ、そして、最後に振り返って、神のご計画がそこにあり、御業がなされたことを知る者となるのです。

 

《占いの霊》

パウロらのフィリピ滞在を、わずか数日間のものとしてしまった占いの霊に取りつかれている女奴隷は、パウロによってその霊を追い出されてしまった後、どうなったのでしょうか。それは分かりません。ただ、この女奴隷から利益を得ていた主人たちにとって、何の役にも立たなくなってしまったことは、確かでした。

この女奴隷の占いは、どれほど利益を得させていたのでしょうか。現代社会では、種々の占いが一大産業のようになっています。当時も、それはひとつの文化であり、商売としても成り立つものだったのです。占星術などは学問とさえ考えられていました。占いは、この世界に対して「神」がどのような計画を持っているのかを知る手段であり、その意味で、物事を理解するための世の知恵でもあったのです。この女奴隷が主人たちに多くの利益を得させていたということは、その占いの有効性が、多くの人たちに認められていた、ということでありましょう。

驚くべきことに、この女奴隷の占いの有効性を、聖書自体が認めているようです。パウロらのことを指して、「この人たちは、いと高き神の僕で、皆さんに救いの道を宣べ伝えているのです」と占わせているのです。また、パウロが、この女奴隷に付きまとわれながら、すぐには、その霊を追い出さなかったのは、その占いが、この地の文化の中で確固たる位置を持った営みだったからなのかもしれません。事実、たまりかねたパウロが占いの霊に向かって、「イエス・キリストの名によって命じる。この女から出て行け」(18)と告げて、その霊を追い出したとき、金もうけの望みがなくなってしまったことを知った(19)主人たちは、当局の高官たちに、こう訴え出ているのです。

「この者たちはユダヤ人で、わたしたちの町を混乱させております。ローマ帝国の市民であるわたしたちが受け入れることも、実行することも許されない風習を宣伝しております」(20~21)

パウロがイエス・キリストの名によって占いの霊を追い出したことは、フィリピの人々にとって、物事を理解するための占いという彼らの文化そのものを否定されたように受けとめられたのです。パウロにはそのような意図はなかった、と言うべきでしょうか。否、イエス・キリストの名を語る以上、この世の占い文化を否定するものであることを、私たちは知らなければなりません。占いが迷信だからではありません。占いが、神に代わって世界を理解しようとする営みだからです。物事の「時」をあらかじめ知ろうとする営みだからです。人の計画の中に、神のご計画を組み込もうとする営みだからです。

イエス・キリストの名によって語る私たちは、神のご計画の中に、私たちの計画が組み込まれていくことを信じるのです。私たちは、計画を立てます。しかし、その計画は、神のご計画の中で造り直され、組み込まれていくのです。そして、私たちの「時間」ではなく、神の「時間」によって、実行されていくのです。

これは、この世にあって、受け入れることも、実行することも許されない風習でしょうか。そうかもしれません。しかし、イエス・キリストの御名を語る以上、そのように歩むのです。この世の知恵や知識によって立てた計画を実行し、その成否を評価する生き方ではなく、自分たちの立てた計画を、繰り返し神のご計画のうちで造り直していただき、神の「時間」に従って実行していただく生き方です。聖霊の導きを信じて、そのように歩むのです。私たちは、ただ、その中で、神の御業に用いられ、その恵みを証しする者として歩ませていただくのです。

 

祈り

主なる神。私どもの計画を聖霊の導きによって造り直してください。あなたのご計画の中に、主の時間の中に、私どもの営みを組み入れてください。アーメン