印刷用PDFA4版2頁

主日礼拝説教「そして、話はまだ続く」

日本基督教団藤沢教会 200778

1マタンの子シェファトヤ、パシュフルの子ゲダルヤ、シェレムヤの子ユカル、マルキヤの子パシュフルは、エレミヤがすべての民に次のように語っているのを聞いた。2「主はこう言われる。この都にとどまる者は、剣、飢饉、疫病で死ぬ。しかし、出てカルデア軍に投降する者は生き残る。命だけは助かって生き残る。3主はこう言われる。この都は必ずバビロンの王の軍隊の手に落ち、占領される。」4役人たちは王に言った。「どうか、この男を死刑にしてください。あのようなことを言いふらして、この都に残った兵士と民衆の士気を挫いています。この民のために平和を願わず、むしろ災いを望んでいるのです。」5ゼデキヤ王は答えた。「あの男のことはお前たちに任せる。王であっても、お前たちの意に反しては何もできないのだから。」

6そこで、役人たちはエレミヤを捕らえ、監視の庭にある王子マルキヤの水溜めへ綱でつり降ろした。水溜めには水がなく泥がたまっていたので、エレミヤは泥の中に沈んだ。

7宮廷にいたクシュ人の宦官エベド・メレクは、エレミヤが水溜めに投げ込まれたことを聞いた。そのとき、王はベニヤミン門の広場に座していた。8エベド・メレクは宮廷を出て王に訴えた。9「王様、この人々は、預言者エレミヤにありとあらゆるひどいことをしています。彼を水溜めに投げ込みました。エレミヤはそこで飢えて死んでしまいます。もう都にはパンがなくなりましたから。」

10王はクシュ人エベド・メレクに、「ここから三十人の者を連れて行き、預言者エレミヤが死なないうちに、水溜めから引き上げるがよい」と命じた。11エベド・メレクはその人々を連れて宮廷に帰り、倉庫の下から古着やぼろ切れを取って来て、それを綱で水溜めの中のエレミヤにつり降ろした。12クシュ人エベド・メレクはエレミヤに言った。「古着とぼろ切れを脇の下にはさんで、綱にあてがいなさい。」エレミヤはそのとおりにした。13そこで、彼らはエレミヤを水溜めから綱で引き上げた。そして、エレミヤは監視の庭に留めて置かれた。           (エレミヤ書 38113節)

 

7週の初めの日、わたしたちがパンを裂くために集まっていると、パウロは翌日出発する予定で人々に話をしたが、その話は夜中まで続いた。8わたしたちが集まっていた階上の部屋には、たくさんのともし火がついていた。9エウティコという青年が、窓に腰を掛けていたが、パウロの話が長々と続いたので、ひどく眠気を催し、眠りこけて三階から下に落ちてしまった。起こしてみると、もう死んでいた。10パウロは降りて行き、彼の上にかがみ込み、抱きかかえて言った。「騒ぐな。まだ生きている。」11そして、また上に行って、パンを裂いて食べ、夜明けまで長い間話し続けてから出発した。12人々は生き返った青年を連れて帰り、大いに慰められた。    (使徒言行録 20712節)

 

パウロの話は長々と続く

主日の聖書日課は、ペンテコステ(聖霊降臨祭)から使徒言行録を中心に読まれてきました。聖霊降臨の出来事と共に歩みを始めた、主キリストの復活を信じる教会の、最初期の歩みを、使徒言行録の御言葉に聞きながら、辿ってきたのです。そこに、私たちは、二千年にわたって受け継がれてきたキリスト教会の営みを示されてきました。教会は、はじめから、人々に洗礼を授けて仲間として受け入れることを熱心に行ってきました。使徒の教え、相互の交わり、パンを裂くこと、祈ること(使2:42)を大切にしてきました。そのような教会の営みを、私たちは、何よりも《礼拝》の営みとして受け継いでいると言うことができるのです。

使徒言行録207節以下に伝えられているのは、すでに二世代目のキリスト者というべき使徒パウロが、トロアスという町に一週間滞在して、その町の教会で過ごしたときの逸話です。《青年エウティコの物語》として知られる出来事です。繰り返して語り直す必要もないほど簡単な物語です。

週の初めの日すなわち日曜日に、パウロら一行はトロアスの教会の人たちと共に集まって、礼拝を守っていました。パンを裂くために集まっていたとあります。パンを裂くこととは、文字通りには食事のことですが、初代の教会は、自分たちの礼拝の中心をパンを裂くという食事の行為として守っていたのです。私たちが《聖餐》とよぶ聖礼典として受け継いでいることです。

もちろん、ただ集まってパンを裂き、食事をしていただけではありません。私たちが言うところの御言葉の説教が行われていました。このときは、この教会のもともとの指導者であるパウロが、話をしていたのです。ところが、その話しは、延々と夜中まで続きました。といっても、日曜日の朝から延々夜中まで、ということではなかったかもしれません。当時は、日曜日は休日ではなかったからです。恐らく、礼拝は、日曜日の早朝か、あるいは日曜日の夕方から夜にかけて、いずれにしても昼間の仕事に支障のない時間帯で守られていたのです。ですから、パウロの話が夜中まで続いたといっても、それは夕方から始まって、夜中に至ったということであったのでしょう。

しかし、それにしても、いつもより長かったのかも知れません。この短い段落の中で、パウロの話が長々と続いたということが、三度も繰り返して書かれているのです。そして、それが原因で、ひとりの青年が居眠りをしてしまったのでした。しかも、こともあろうに、三階の窓から転落してしまったのでした。

一体、パウロは何時間、説教を続けていたのでしょうか。私たちの教会では、四十分も説教をしたら、「ちょっと長かった」とクレームをいただきます。一時間も説教をしたら、あるいは途中でお帰りになられてしまう方もあるかもしれません。私たちの生きるこの現代社会は、時間をお金で買うような時代ですから、礼拝も説教も、コンパクトに簡潔にまとめて、他のことに支障がないようにしなければならないのです。けれども、私は、いったいそれは、本当に教会の日曜日の営みとして良いことなのだろうかと思うことがあります。

私が育った母教会では、青年たちの活動で、千葉県の小さな教会をいくつか巡って子ども会伝道をする《キャラバン》という活動がありました。もちろん、ただ子ども会伝道をするだけでなく、日曜日には、青年たちが分かれて、そのいくつかの小さな教会の礼拝に出席をいたしました。それらの教会の中には、無牧の教会もあったのですが、そのようなときには、私の母教会の牧師が同行されて、日曜日の礼拝説教の奉仕をなさることもありました。あるとき、何年も無牧の教会で、同行した牧師が礼拝説教をなさったことがありました。ところが、普段四十〜五十分ほどの説教をなさる牧師が、二時間近くも説教をなさったのです。いや、実は、二時間程の説教を終えられるとき、「まだ十分ではありませんが、時間が過ぎていますので終わりにします」とさえ言って終えられたのでした。高校生や大学生が中心の青年たちは、普段の倍以上も説教があったことに面食らったのでしたが、それよりも驚かされたことには、その小さな教会の信徒の人たちが、皆、異口同音に、説教の長かったことに感謝の言葉を述べられたのです。無牧の教会で、御言葉に飢え渇いていらしたのでしょうか。しかし、御言葉の説教を長く聴くことができたことに感謝する人々がいる。それは、当時の私にとっては、とても不思議な、しかし忘れがたい経験となったのです。

たった一週間の滞在の後、明日には出発して行くパウロと、最後の日曜日の礼拝を共にしたトロアスの教会の人々です。御言葉の説教を聴くことに飢え渇いていたかも知れません。だれも、パウロが話すのを制止して集会を解散するようなことはしませんでした。教会の誰もが、御言葉に満たされる至福のときを楽しんでいたのです。私たちの礼拝のあり方、日曜日の営みのあり方を、もう一度考え直させられる姿が、ここには描き出されているのです。

 

「騒ぐな、まだ生きている」

ところが、そのような至福の礼拝のときを過ごしていたトロアスの教会で、事故が起こったのです。青年エウティコが、居眠りをして、三階の窓から転落してしまったのです。

人々は、慌てて礼拝を中断して、窓の下に落ちた青年エウティコに駆け寄ります。しかし、手遅れです。青年を起こしてみると、もう死んでいたのです。トロアスの教会の人々の間に、一瞬にして絶望が広がったことでありましょう。

ところが、御言葉を語り続けていたパウロだけは、違った態度を示します。パウロは降りて行き、青年の上にかがみ込み、抱きかかえて言います。「騒ぐな、まだ生きている」。そして、そのように告げると、また上に行って、パンを裂いて食べ、夜明けまで長い間話し続けた、つまり礼拝を続けたというのです。

このとき、三階から転落して死んだと思われた青年エウティコが、どのような状態であったのかは、よく分かりません。しかし、聖書は、青年が生き返り、人々に連れられて帰り、教会が大いに慰められたと、物語っているのです。

私たちは、何よりもまず、このときのパウロの毅然とした態度に驚かされると思います。しかしまた、このパウロの毅然とした姿勢、「騒ぐな、まだ生きている」と宣言することのできる信仰こそ、主イエス・キリストに堅く結ばれた者の信仰、主の御言葉に生きる者の信仰、なのだろうとも思うのです。

主イエスが、ひとりの青年を生き返らせられた出来事を、今日の聖書日課の福音書(ルカ福音書7:1117)から、共に思い起こしたいのです。

それから間もなく、イエスはナインという町に行かれた。弟子たちや大勢の群衆も一緒であった。イエスが町の門に近づかれると、ちょうど、ある母親の一人息子が死んで、棺が担ぎ出されるところだった。その母親はやもめであって、町の人が大勢そばに付き添っていた。主はこの母親を見て、憐れに思い、「もう泣かなくともよい」と言われた。そして、近づいて棺に手を触れられると、担いでいる人たちは立ち止まった。イエスは、「若者よ、あなたに言う。起きなさい」と言われた。すると、死人は起き上がってものを言い始めた。イエスは息子をその母親にお返しになった。人々は皆恐れを抱き、神を賛美して、「大預言者が我々の間に現れた」と言い、また、「神はその民を心にかけてくださった」と言った。イエスについてのこの話は、ユダヤの全土と周りの地方一帯に広まった。

ひとり息子の死を嘆き悲しむ母親を見て、憐れに思ってくださり、「もう泣かなくともよい」と告げてくださる主イエスのお姿を、私たちは、深く心に刻まないではいられません。死んだ者のことばかりか、一人の人の死を嘆き悲しんでいる残された者のことを憐れんでくださる主イエスのお姿、その御心です。パウロもまた、そのような主イエスの御心を、深く心に刻んでいたことでしょう。そして、だからこそ、パウロは、エウティコの転落を目の当たりにしながら、なお、確信をもって、言い得たのではないでしょうか。「騒ぐな。まだ生きている」

 

礼拝を続ける交わりの中でこそ…

私たちの、このように守り続けている御言葉に満たされる礼拝の営みの席から、病気や死によって、離されて行かれた数知れぬ兄弟姉妹がいらっしゃいます。このひたすら御言葉に聞く交わり、主の食卓のパンにあずかる交わりに連なりながら、ひどく眠気を催して、眠りこけて、交わりから離れ落ちてしまったあの人、この人がいらっしゃいます。青年エウティコのように、私たちの目には、「もう死んでしまった」としか見えない人々のことを、私たちは思い起こすのです。

けれども、私たちは、それでもなお御言葉に聞き続けるとき、主の食卓にあずかり続けるとき、パウロと共に、こう宣言することが許されるのではないでしょうか、「騒ぐな。まだ生きている」と。そして、あのトロアスの教会の人々と共に、もう死んでしまったと思っていたあの人、この人をこの交わりに連れ帰り、一つの命に生かされていることを信じる者の群れとして歩ませていただくことができるのではないでしょうか。

初代の教会が始め、使徒パウロが世界の諸教会に息づかせた礼拝の営みの中に、私たちも歩んでいます。私たちの教会の交わりは、ひたすら御言葉の語り続けられる交わり、主の食卓にあずかり続ける交わりです。この交わりは、日曜日の朝の一時間半の礼拝の間だけでなく、夜中までも、夜明けまでも、長い間いつまでも続けられる交わりです。私たちは、主キリストの福音の御言葉の語り続けられる交わりのうちに、福音のしるしである食卓にあずかり続ける交わりのうちに留まり続けるのです。そのとき、失われた兄弟姉妹との命の交わりをも回復していただける。そのように信じて、主の慰めのうちに歩み続けさせていただくのです。

 

祈り

主なる神。礼拝の交わりに感謝します。主の食卓の交わりのうちに留まらせてください。ひたすら御言葉を語り続け、聞き続ける交わりのうちに歩ませてください。離れている兄弟姉妹との命の交わりを回復させてください。アーメン