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子どもの日・花の日 合同礼拝説教「この神さまを知らせよう」 日本基督教団藤沢教会 2009年6月14日 【詩編交読】1 賛歌。感謝のために。 全地よ、主に向かって喜びの叫びをあげよ。 2 喜び祝い、主に仕え、喜び歌って御前に進み出よ。 3 知れ、主こそ神であると。 主はわたしたちを造られた。 わたしたちは主のもの、その民、 主に養われる羊の群れ。 4 感謝の歌をうたって主の門に進み、 賛美の歌をうたって主の庭に入れ。 感謝をささげ、御名をたたえよ。 5 主は恵み深く、慈しみはとこしえに、 主の真実は代々に及ぶ。 (詩編100編) 【聖書朗読】 22パウロは、アレオパゴスの真ん中に立って言った。「アテネの皆さん、あらゆる点においてあなたがたが信仰のあつい方であることを、わたしは認めます。23道を歩きながら、あなたがたが拝むいろいろなものを見ていると、『知られざる神に』と刻まれている祭壇さえ見つけたからです。それで、あなたがたが知らずに拝んでいるもの、それをわたしはお知らせしましょう。24世界とその中の万物とを造られた神が、その方です。この神は天地の主ですから、手で造った神殿などにはお住みになりません。25また、何か足りないことでもあるかのように、人の手によって仕えてもらう必要もありません。すべての人に命と息と、その他すべてのものを与えてくださるのは、この神だからです。26神は、一人の人からすべての民族を造り出して、地上の至るところに住まわせ、季節を決め、彼らの居住地の境界をお決めになりました。27これは、人に神を求めさせるためであり、また、彼らが探し求めさえすれば、神を見いだすことができるようにということなのです。実際、神はわたしたち一人一人から遠く離れてはおられません。28皆さんのうちのある詩人たちも、 『我らは神の中に生き、動き、存在する』 『我らもその子孫である』と、 言っているとおりです。29わたしたちは神の子孫なのですから、神である方を、人間の技や考えで造った金、銀、石などの像と同じものと考えてはなりません。30さて、神はこのような無知な時代を、大目に見てくださいましたが、今はどこにいる人でも皆悔い改めるようにと、命じておられます。31それは、先にお選びになった一人の方によって、この世を正しく裁く日をお決めになったからです。神はこの方を死者の中から復活させて、すべての人にそのことの確証をお与えになったのです。」 32死者の復活ということを聞くと、ある者はあざ笑い、ある者は、「それについては、いずれまた聞かせてもらうことにしよう」と言った。33それで、パウロはその場を立ち去った。34しかし、彼について行って信仰に入った者も、何人かいた。その中にはアレオパゴスの議員ディオニシオ、またダマリスという婦人やその他の人々もいた。 (使徒言行録 17章22〜34節) 《子どもの日・花の日》 今年も《子どもの日・花の日》の合同礼拝を迎えました。皆さんの中には、初めて合同礼拝に出ることになった人もいるかもしれません。わたしたちの教会では、毎年6月第2日曜日を《子どもの日・花の日》として、子どもたちと大人たちが一緒の合同礼拝をささげます。いつからそうすることになったのでしょうか。実は、もともと《子どもの日・花の日》は、アメリカの教会で始まったのです。 150年ほども前の1856年のことです。いつも教会の中で隅に追いやられている子どもたちに、本当は教会の中で歓迎しているのだよということを伝えようと、礼拝堂をたくさんの花で飾って、子どもたちのための礼拝を始めたのです。そのとき、大人の人たちも一所懸命だったと思います。「子どもたちにイエスさまのことを伝えたい」、「イエスさまに従う子どもになってもらいたい」と、祈りの気持ちの中から《子どもの日・花の日》を守るようになったのではないでしょうか。 わたしたちの教会でも同じです。ここには、家族と一緒に教会に来ている子どももいるでしょう。幼稚園から、あるいは小学生や中学生になってから教会学校に来るようになった子どももいるでしょう。その一人ひとりの子どもの皆さんを、この教会の中心に歓迎したいと思います。皆さん一人ひとりに、イエスさまのことをお伝えしたいと思います。そして、皆さん一人ひとりが、教会の大人の人たちの間で共にイエスさまに従う子どもとして成長し、そしてイエスさまに喜ばれる大人になってもらいたい。それが、わたしたち大人の願い、祈りです。 アメリカの教会の人たちが《子どもの日・花の日》の礼拝をささげるようになってから150年以上経った今、アメリカだけでなく日本の教会のわたしたちも、同じように、子どもたちにイエスさまを伝えるために《子どもの日・花の日》の礼拝をささげ続けている。とても不思議なことですが、神さまが恵みをもって、そのようにしてくださったことだと思います。 150年前から… ところで、その《子どもの日・花の日》の礼拝がアメリカの教会でささげられるようになったのと同じ頃のことです。今からちょうど150年前、この日本の社会が大きく変わり始める出来事がありました。1859年、横浜に新しく造られた大きな港が開港したのです。大きな外国の船が泊められるようになりました。アメリカをはじめとする外国から大勢の外国人がやって来るようになったのです。その中には、国の政治をする人、貿易をする人、ヨーロッパやアメリカの最新の学問を教える人たちがいました。そして、キリスト教を伝えようとやってきた宣教師の人たちも、その中にいたのです。皆さんも、ヘボン、バラ、ブラウンというような宣教師の名前を聞いたことがあると思います。アメリカのプロテスタント教会から送り出されてきた宣教師の人たちです。そのときから、日本の国の中でキリスト教の神さまを伝える大勢の人たちが活動を始めたのです。 その頃の日本では、キリスト教の神さまを教えることが禁じられていました。それよりもずっと昔、戦国時代にカトリック教会の宣教師たちがたくさん来て、日本の人たちにキリスト教を伝えた時代がありましたが、その時代にキリスト教を信じることを禁止して以来、日本人は皆、家族そろってどこかの仏教のお寺に属することになっていました。そして、町や村ごとにある神社のお祭りを祝いました。仏教のお寺や、神社が、日本にはたくさんあります。今でもそうですが、その頃の日本人も、お寺に行けば、そこにある仏像を拝み、神社に行けば、そこに祀られている神々を拝む、ということをしていました。きっと、たくさんの仏像や神々をどれも大切にしていたのでしょう。けれども、キリスト教の神さま、イエスさまを信じることだけは、禁止されていたのです。 150年前、横浜の港が開港してすぐに日本にやってきた宣教師たちも、最初はキリスト教の神さまを教えることが許されませんでした。でも、どうにかしてキリスト教のことを伝えたい、イエスさまのことを伝えたい。そう思った宣教師たちは、英語などを教える学校を始めたそうです。日本の人たち、特に若い人たちに、直接キリスト教を教えることはできない。イエスさまを伝えることはできない。けれども、英語を教えることを通して、たとえば英語の聖書を教科書にして、キリスト教を教えたのです。イエスさまを伝えたのです。本当は教えてはいけないことになっていることを教えようとしたのですから、もしかすると危険なこともあったかもしれません。命を狙われることもあったかもしれません。それでも、宣教師の人たちには、熱心な願いがあったのです。「どうしても、日本の人たちにキリスト教を教えたい。日本の若い人たちに、イエスさまを伝えたい」。その願いが、自分が危険な目に遭うかもしれないことを恐れる気持ちよりも大きくなって、隠れるようにしてでも、一所懸命にキリスト教を教えたのです。イエスさまを伝えたのです。そして、その宣教師の教えたキリスト教に触れ、イエスさまと出会った人たちの中から、日本のプロテスタント教会が始まりました。 この教会も、そのようにしてイエスさまと出会った人たちを通して始められました。150年が経った今、日本中にある教会で、子どもたちに、また、たくさんのイエスさまを知らない人たち、キリスト教の神さまを知らない人たちに、キリスト教のことが教えられ、イエスさまのことが伝えられているのです。 今から150年前に、アメリカの教会の人たちが、子どもたちにイエスさまを伝えたいと願い、祈りました。そして、世界中の人に、中でも日本の人たちに、イエスさまを伝えたいと願い、祈りました。願って、祈って、そして、教会の人たちは行動しました。イエスさまを伝える行動を始めました。わたしたちが今、このように教会に集まることができるのは、そのような人たちがいたからです。その人たちから始まって150年間、途切れることなく続く、イエスさまを伝えようという教会の人たちの行動を、神さまが支え導いてくださっていたからです。その不思議を、その恵みを、わたしたちは共に喜び、感謝したいと思います。 神さまを知らせよう、イエスさまを伝えよう 聖書の朗読を聴きました。使徒言行録17章。キリスト教の最初の時代に、世界中にキリスト教を伝えようと、宣教師として活躍したパウロという人の物語です。パウロが、アテネというギリシアの古い町に行ったときに、その町の人たちにキリスト教を教え、イエスさまを伝えようとした出来事が物語られていました。 アテネには、たくさんの神々の像や神殿があったそうです。たくさんの学校もありましたし、学者の先生たちもいました。ギリシア神話に出てくる神々の名前を知っている人もいるでしょう。アテネの人たちは、そういうものをみんな大切にしていたのです。それぞれの神々のために祭壇を造って、拝んでいました。その中に、不思議な祭壇があったそうです。神の名前の代わりに「知られざる神」と書かれた祭壇です。アテネの人たちは、自分たちがまだ知らない神のことまで拝もうとしていた、というのです。何か変な感じがします。けれども、アテネの人たちの中には、もしかしたら、まだ本当の神さまに出会っていない、という気持ちの人がいたのかもしれません。そこで、パウロは、このアテネの町の人たちに言ったそうです。「アテネの皆さん。わたしは、今、皆さんがまだ知らないでいる本当の神さまをお知らせします。天地を創られた神さまです。世界中の人が心から自分の罪や世界の悪を悔い改めるために、独り子のイエスさまを十字架につけて、そして死者の中から復活させられた神さまです。」 パウロは、とても勇気がいったと思います。他の神々を知っていて、勉強もよくできる人たちに、キリスト教を伝え、イエスさまを伝えようとしたのです。たくさんの人がパウロをバカにしました。パウロの教えたことを信じませんでした。それでも、パウロは一所懸命にイエスさまを伝えました。そして、その一所懸命のパウロのその行動を神さまが支えてくださったのです。アテネの人たちの中に、キリスト教を信じ、イエスさまに従うようになった人たちが現れました。そして、その人たちから始まって、今では、アテネの人たち、ギリシアの人たちは、皆、キリスト教を信じるようになりました。イエスさまに従うようになりました。 今、わたしたちは、イエスさまを伝える教会に一つに集められています。ここで、イエスさまから始まって、パウロたち、150年前の宣教師たち、そして今のわたしたちまで、ただ一つのことを受け継いでいます。イエスさまの父なる神さまを信じ、伝えることです。たとえ、今日初めてこの神さまのことを聴いた人であっても、今日、教会の中に招かれたときから、皆さんの、この神さまを伝える歩みが始まっています。この神さまを知らせ、イエスさまを伝える行動へと、わたしたちを押し出してくださる方が、ここには来てくださっているからです。それは、聖霊の神さま。イエスさまの約束してくださった、父なる神さまから注がれる聖霊が、わたしたちを押し出してくださる。神さまを知らせ、イエスさまを伝える行動へと押し出してくださって、そこで、たくさんの恵みと祝福を味わわせてくださる。そのようにしてくださる父なる神さま、イエスさま、聖霊の神さまを信じて、わたしたちは、感謝をもって共に讃美をささげてまいりましょう。 祈り 主よ。この国での150年の教会の歩みに感謝します。世界での二千年の歩みに感謝します。今招かれている皆を主イエスに従う者とならせてください。アーメン |