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待降節第4主日クリスマス礼拝説教 日本基督教団藤沢教会 2010年12月19日 1 エッサイの株からひとつの芽が萌えいで、 アドヴェント(待降節)の4本目のロウソクに火を灯しました。御子キリストのご降誕を祝うクリスマスを迎える週の始まりです。今週金曜日(24日)の夜には、降誕日前夜の礼拝で御子のご降誕をお祝いいたします。しかしながら、わたしたちは、今日、すでに、「クリスマス礼拝」を迎えることといたしました。 今日のクリスマス礼拝を、何の疑問もなく迎えられた方も多くいらっしゃるでしょう。けれども、世界中を見渡せば、今日クリスマス礼拝を祝っている教会は、ごく少数です。クリスマス礼拝は、12月24日の夜か25日の昼間に祝うもの。あるいは別の伝統では、1月6日に祝うもの。アドヴェントの4本のロウソクが灯ったときには、クリスマスの祝いを迎える最後の備えをすることが、世界中の多くの教会で大切にされているのです。 そうは言っても、わたしたちは、今年も、アドヴェントのロウソクが4本灯った今日、クリスマス礼拝を祝うことにいたしました。「クリスマスおめでとうございます」と、今日一日、互いに挨拶を交わし合います。そのような日曜日の一日を過ごすために、皆さんと一緒に準備をしてきました。朝と夕べの礼拝。昼と夜の祝いの会。わたしたちは互いにクリスマスを喜び祝う挨拶を交わします。もちろん、皆さん方は、すでに朝から、互いに「クリスマスおめでとうございます」と祝いの挨拶を交わしてくださっていることでしょう。 「クリスマスおめでとうございます!」。 もしかすると、24日にならなければ「クリスマスおめでとう」との挨拶を交わさない人たちから見れば、わたしたちの今日の挨拶は奇妙に見えるかも知れません。言ってみれば、新年を迎えていない年末のうちに、早々と「あけましておめでとうございます」と挨拶をしているのと同じなのですから。まだ、世界中の教会がアドヴェントの祈りのうちにあるのです。ところが、わたしたちは、すでに、このクリスマスの挨拶を交わしている。これは、考えてみると、実にすばらしいことではないでしょうか。わたしたちに許された、すばらしい恵みの一つ。 今日の福音書の御言葉は、クリスマスを迎える前のアドヴェントの物語。幼子イエスの母マリアのもとに、天使ガブリエルが訪ねてきた物語。このとき、マリアは、もちろん、これから起こることをまだ何も知りませんでした。クリスマスを知らない。けれども、天使ガブリエルは、マリアに告げました。 「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」 これは、クリスマスの「おめでとう」の挨拶です。御子が母マリアの胎に宿ったとき、まだマリア自身も気づかないでいたかもしれないほど小さな命として御子が宿ったとき、天使ガブリエルは、「おめでとう」とマリアに告げました。すでにそこにクリスマスの喜びの出来事が始まっていることを、知っていたからでしょう。すでに、マリアのうちにクリスマスの出来事が始まっていることを知っていたからでしょう。「おめでとう」(「喜べ」とも「万歳」とも訳せる言葉です!)と挨拶をして、天使ガブリエルは、マリアのまだ知らない「クリスマス」の喜びを、マリアのもとにもたらしたのです。「おめでとう」の挨拶とともに、マリアに「クリスマス」を迎える道が拓かれました。マリアにとっては、まだ迎えていない「クリスマス」です。けれども、天使ガブリエルの告げるクリスマスの「おめでとう」の挨拶を聴いたときから、もうすでにマリアは、クリスマスを迎えないわけにはいかなくなりました。すでに胎に宿られた御子の命が、育ち、大きくなり、はっきりと見える形でお生まれくださる「クリスマス」を、マリアは、必ず迎えることになったのです。 クリスマスの「恵まれたあなた」 「クリスマスおめでとうございます!」。 わたしたちは、本当に何気なく、この挨拶を交わすかも知れません。けれども、この挨拶は、わたしたちの間で、本当に驚くべきことが起こるというしるしです。 皆さんが、これまでの人生の中ではじめてクリスマスの挨拶を交わしたのは、いつのことでしょうか。恐らく、まだ自分から「クリスマスおめでとう」と挨拶することを知らなかったときに、だれかが、「クリスマスおめでとう」と挨拶してくれたのです。いつ、だれが、このクリスマスの「おめでとう」の挨拶を、この「わたし」に向けて告げてくれたのでしょうか。 幼い日に、父や母から、あるいは兄や姉から、「クリスマスおめでとう」と告げられたのかも知れません。物心ついてから、教会か、あるいは何かの集まりで、クリスマスの祝いに参加して、自分を招いてくれた人たちから、「クリスマスおめでとう」と告げられたのかも知れません。いいえ、皆さんの中には、幼い日々、子供時代には、クリスマスなど別世界のことだと思われていた方も少なくないでしょう。大人になってから、教会に来るようになってから、初めて、クリスマスの挨拶を知ったという方も、案外多くいらっしゃるのかもしれません。 もしかすると、今日、この礼拝においでになられた皆さんの中に、これまでの人生では一度も自分のこととしてクリスマスの挨拶を交わしたことはない、という方がいらっしゃるのでしょうか。 もしも、そういう方がいらっしゃるのならば、ぜひ、申し出ていただきたい。牧師にでも、伝道師にでも、いいえ、ここにいらっしゃるどなたにでもよいのです、申し出ていただきたい。「わたしはまだ、クリスマスの挨拶をいただいたことがありません」と。しかし、申し出るのには少しの勇気がいるでしょうから、わたしはここで、そういう方のために、ご挨拶を申し上げたい。 「クリスマス、おめでとうございます。あなたは、神の恵みをいただいている人。今日、クリスマスの主、御子イエスさまが、あなたと共にいてくださいます!」 わたしは、心を込めて、心から、この挨拶を、皆さん一人ひとりにお贈りしたい。でも、皆さんの中には、こう思われる方があるかも知れません。 「せっかくだけれども、そんなご挨拶をいただいても、ちょっとピンと来ない。いったい、それはどうしておめでたいことなのですか?」 そう思われているとしても、どうぞ安心してください。幼子イエスの母マリアも、天使ガブリエルの「おめでとう」との挨拶に戸惑い、「いったい何のことか」といぶかしく思ったのです。そう思うのは、当然です。 けれども、そう思われたとしても、もう、この挨拶をお聴きの皆さんは、すでにクリスマスに向けて歩み始めています。御子のご降誕、主イエスのお生まれの日に向けて歩み始められているのです。なぜならば、お気づきになられていないとしても、すでに、皆さんの内に神が恵みを注いでくださっているからです。御子キリストの命を間違いなく宿らせてくださっていて、クリスマスの挨拶を聴いたその瞬間から、その御子の命は、皆さんの内で育ち始めているからです。 今日、クリスマスの挨拶を聴いた皆さんは、いつか必ず、ご自分の内でお生まれくださる御子キリストと、出会い、向き合うことになるでしょう。わたしたち、すでにクリスマスの挨拶を交わすことを知り、御子のお生まれくださったことを知り、御子と出会わせていただいて、御子と結ばれる洗礼を受けてきた者は、そのことを信じているのです。現に、私たちの中で、そのことが起こったからです。わたしたちに起こったことは、必ず、他の人の中でも起こることだからです。神が恵みをもって起こしてくださるのです。クリスマスの挨拶が交わされるところで、クリスマスの物語が語られるところで、教会で、そのことは必ず起こされる。ここにいる一人残らず、誰の中でも起こされる。皆さん一人ひとりの人生の中で、御子のお生まれくださるクリスマスが、本当のことになるのです。 クリスマスの「わたし」 「クリスマス、おめでとうございます!」 これまでに何度、わたしたちは、この挨拶を交わしてきたことでしょうか。数え切れないほど繰り返してこられた方もあるでしょう。そうであっても、わたしたちは、今日も、この挨拶を、出会うすべての方と互いに交わしましょう。 そうです。クリスマスをすでに知っているわたしたちは、天使ガブリエルと共に、この挨拶を、今日出会うすべての人に向かって、いたしましょう。 「クリスマス、おめでとうございます。あなたは神さまの恵みをいただいている人です。クリスマスの主、御子イエスさまがあなたと共にいてくださいます!」 今日、洗礼を受ける姉妹がいます。また、61年前に洗礼を受けて、今日、信仰を告白して堅信礼を受ける兄弟がいます。この兄姉方の歩みも、いつか、どこかで聴いた、この挨拶、クリスマスの「おめでとう」の挨拶から始められたことでしょう。言葉は違うかも知れません。けれども、クリスマスを告げる挨拶です。 「おめでとう。あなたは神さまの恵みをいただいている。あなたの中に、御子としてお生まれくださる主イエスが、共にいてくださいます。」 今日、お二人は確かにクリスマスを迎えられました。クリスマスの挨拶に、「お言葉どおり、この身に成りますように」と応えられました。どうか、すべての人が、まことの神、御子のご降誕、クリスマスの喜びのときを迎えられますように。 祈り 主よ。天使によってクリスマスの挨拶をいただきました。わたしどももこの挨拶を交わします。すべての者の内で御子がお生まれくださいますように。アーメン |