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主日礼拝説教「ここで見た救い」 日本基督教団藤沢教会 2011年1月2日 20ハンナは身ごもり、月が満ちて男の子を産んだ。主に願って得た子供なので、その名をサムエル(その名は神)と名付けた。 11月最後の日曜日から飾ってきたアドヴェントのロウソクを、そのまま色を変えてクリスマスの祝いを告げるロウソクとして灯してきました。新しい年を迎えて最初の日曜日の今日が、このロウソクを灯しての最後の礼拝です。1月6日には、特に東方キリスト教会で大切にされてきた「公現日(エピファニー)」を迎えてクリスマスの祝いのすべてを終えます。 福音書の御言葉から、クリスマスを迎えた聖家族の、その後の営みの物語を聴きました。クリスマスの祝いの期節を終えようとする今、わたしたちは、心に刻みたいと思います。生まれたばかりの幼子イエスにために、ユダヤ人の習慣に従って割礼を施したのは、両親となったヨセフとマリアでした。清めの期間を過ごして、エルサレムの神殿に詣でて、幼子のための献げものをしたのも、両親であるヨセフとマリアでした。彼らが、日々の生活の中で御子イエスを養い、育てました。御子イエスが独り立ちするまで、神に託された子、神の御子として守り、導き、励まし続けたのは、ヨセフとマリア、この二人を中心とする家族でした。だれよりも、この二人が、幼子イエスを、その腕に抱いたことでしょう。成長していく少年イエスを、胸に抱いたことでしょう。 けれども、この二人だけではありません。この二人と共に、幼子の成長と祝福を祈る者は皆、この幼子を腕に抱き、成長する少年を胸に抱いたのではないでしょうか。ヨセフとマリアが幼子イエスを神殿にお連したとき、道行く人が、出会う人が、幾人、この幼子を抱き上げたことでしょうか。 教会にも、生まれて間もない幼子が連れてこられるときがあります。礼拝の中で新生児のための特別な祝福の祈りをすることもあります。そのときには、わたしは、「牧師の特権」と言って、自分の腕に幼子を抱いて祝福を祈らせていただきます。皆さんも、代わる代わる、腕に抱いて、その小さな命を祝福してくださることでしょう。喜びの瞬間です。 シメオンとアンナ。幼子イエスの物語に登場する、この二人の人も、その幼い命を自分の腕に抱き上げて、祝福をしたのです。きっと、この二人だけではなかったと思います。もしかすると、たくさんの人が代わる代わる、幼子イエスを両親の手から受けとって、腕に抱き、祝福を祈った。シメオンとアンナも、このときだけではなく、神殿に連れてこられた多くの幼子を両親の手から受けとって、腕に抱き、祝福を祈っていた。その中の一人として、幼子イエスを腕に抱き、祝福を祈った。わたしは、そういう情景を想像いたします。 クリスマスに、わたしたちは、生まれたばかりの幼子をお迎えいたしました。イエスという名の幼子。そして、キリスト者(クリスチャン)という名の幼子。イエスという名の幼子をお迎えして、その両親の手から受けとって、自分たち腕に抱かせていただく。キリスト者という名の幼子をお迎えして、真の父の手から受けとって、自分たちの腕に抱かせていただく。シメオンとアンナのように、わたしたちも、そうさせていただきたいと思うのです。そのような思いを、このクリスマスの祝いの期節の終わりのとき、心に刻み直したいと思うのです。 幼子イエスのことを語ろう 教会暦では、まだしばらく「降誕節」という呼び名の日曜日が続きますが、来週からは、すっかり成人した主イエスのお姿に目を向けていくことになります。およそ30歳になられた主イエスが、洗礼者ヨハネから洗礼を受けられた出来事から始まる、一連の公生涯の物語です。主イエスその方自身の言葉と行いによって、わたしたちは、大いに主イエスのことを聴き、また語ることになるでしょう。十字架につけられるまでの主イエスの道行きです。わたしたちが決して蔑ろにすることのできない、多くの主の御言葉、主の行い、主の出来事に、早く目を向けていきたいとの思いもあります。 けれども、今日は、わたしたちは、もう少し「幼子イエスのこと」に留まりたいと思います。幼子イエスのことを聴き、また語りたいと思います。 神殿で幼子イエスを腕に抱き、祝福したシメオンは、両親の前で神をたたえて言いました。「わたしはこの目であなたの救いを見た…。これは万民のために整えてくださった救い…、異邦人を照らす啓示の光り、イスラエルの誉れ…」(30〜33節)。また、母親のマリアに向かってこう言いました。「ご覧なさい。この子は、イスラエルの多くの人を倒したり立ち上がらせたりするためにと定められ、また、反対を受けるしるしとして定められています…」(34〜35節)。 この幼子が、本来どのような存在なのか。将来どのような者として生きることになるのか。シメオンは、聖霊を受けた人であったといいますから、そのものズバリ、このマリアとヨセフを両親とする幼子イエスこそ、まさに救い主、苦しみを受けられる救い主であると、そう言い当てることができたということかもしれません。けれども、わたしは、こうも思うのです。シメオンは、主が遣わすメシア=キリスト=救い主に会うことを、切に願っていた人です。そうであれば、彼は、神殿に連れてこられる幼子を祝福するたびに、「この幼子こそ、神の救いのために生まれてきた子。救いのしるし。多くの人々のために生きる者」と、そう告げずにはいられなかったのではないでしょうか。特別な霊感があって、幼子イエスを救い主と見分けることができた、というよりも、神の恵みの出来事が幼子に託されることを、心から信じ、願い、待ち望んでいた、その思いを一筋に貫いてきた、そういう人だったのではないでしょうか。 多くの親たちは、シメオンの告げる言葉を聞いても、聞き流してしまっていたかも知れません。シメオンの祝福の言葉を、特別気の利いた社交辞令ぐらいに考えて、そのときは喜んでも、家に帰ると忘れてしまう。わたしたちにも、そういうところがあるでしょう。何かのお祝いの言葉をいただいても、それをいつまでもおぼえているということは、案外少ないものです。 けれども、マリアとヨセフは、シメオンが幼子イエスのために語った言葉を、心に留め続けたのだと思います。少なくとも、マリアは、心に深く刻み、思い巡らし続けたのでしょう。彼女は、かつて、天使ガブリエルから告げられたのです。「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる」(ルカ1:35)。天使の言葉を心に留め続けたマリアは、幼子の生まれるまでの出来事の一つひとつ、そして、生まれてからの一つひとつの出来事、そこで聞いた言葉を、心に留めたのです。 わたしは想像するのです。マリアが心に留めた、この不思議な出来事、また天使や人々の言葉を、幼子イエスは、成長するまでの間に幾度となく、母マリアから聞かされたのではないか。幼子のお生まれになるときに起こった出来事、語られた信仰の言葉が、母マリアによって、まさにその幼子自身に語り伝えられたのではないか。そのようにして、主イエスはお育ちになられたのではないか。 平和のうちに行きなさい! わたしが、今日、そのような想像をお話しするのは、わたしたちにも、幼子イエスの母マリアの存在が必要だと思うからです。「思う」と言っても、わたしが一人勝手にそう思うというのではありません。わたしたちにとって、それは、「教会」が与えられている、ということです。 教会で、わたしたちは、信仰を与えられます。ここで、御子イエスと出会い、キリスト者として生まれ、また歩んでいきます。それは、本人からしてみれば、自分自身で選び、決断して、教会に属しているということかもしれません。けれども、本当は、わたしたちは、自分の決断ではなくて、神のご決断によって、教会に加えられたのです。教会で洗礼を受けて、キリスト者として歩み始めるように、わたしたち一人ひとりより先に、まず教会が、神によって導かれたのです。 だからこそ、わたしたちは皆、シメオンと共に、教会で、こう言うことができるのです。「主よ、今こそあなたはお言葉どおり、この僕を安らかに去らせてくださいます。わたしはこの目であなたの救いを見たからです」(29〜30節)。 教会で、わたしたちは、はっきりと目で見える形で、神の救いの出来事を見ることができる。一人の人が洗礼にあずかるとき、神がその人の救いを実現してくださることを見ることができる。洗礼を受けた者が共に集まって主の食卓、聖餐にあずかるとき、神が、わたしたちの救いを実現してくださることを、見ることができる。この信仰者の営みの内に、新たに家族や隣人、あの人この人が招かれてこられるたびに、確かに人間には不可能であったけれども、神によって実現された出来事、救いの出来事が、ここ教会の中で見える形で起こっていることを、見ることができる。 このシメオンの言葉(29〜32節)を、教会は、大切に礼拝の歌として受け継いできました。古い伝統では、夕べの礼拝や大晦日の礼拝で歌われてきました。ある伝統の教会では、主日ごとの礼拝で必ず終わりにこの歌を歌います。わたしたちもまた、このシメオンの言葉、シメオンの賛歌を、歌います。「今日、ここで、神の救いを見た」。その信仰を確かに与えられて、わたしたちは、この年も、主の日ごとに、主の平和のうちに、この世へと出て行く歩みを重ねてまいります。 祈り 主よ。ここで救いの出来事をここで見たのです。他のどこでもありません。他の何者でもありません。どうか真の平和のうちに出で行かせてください。アーメン |