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主日礼拝説教「新しく、新しく、新しく!」 日本基督教団藤沢教会 2011年2月6日 麻の帯とぶどう酒のかめ わたしたちの藤沢教会は、今年で教会として建てられてから93年になりました。1918年2月7日。これが、今から93年前にメソヂスト教会の「藤澤講義所」として設立された日付です。けれども、その日、今から93年前の2月7日に、教会の建物があったわけではありません。教会の建物を建てる土地もありませんでした。何にもなかった。ただ、イエスさまを信じるクリスチャンが、幾人かいただけです。中でも、平野友輔さんというクリスチャンの家族は、もう30年も、教会のない藤沢で、イエスさまを信じて過ごしていました。 その頃、アメリカから若いときに日本にやってきていた宣教師のドレーパー先生という人がいました。ドレーパー先生は、平野友輔さんたちのいる藤沢の町に教会が建てられるように、熱心にお祈りしていました。そして、メソヂスト教会の牧師先生たちと相談して、藤沢の町に教会を建てることを決めたのです。それが、1918年2月7日、今から93年前に始められた藤沢教会です。 まだ、土地も建物もない教会に、最初の牧師先生がやってきました。渡辺常三郎牧師です。渡辺牧師のもとに、数人の大人と、大勢の子どもたちが集まるようになりました。イエスさまを信じる教会の集まり、今と比べたら大人がずっと少なかったのだけれども、わたしたちと同じような「神の家族」の歩みが、始まったのです。渡辺牧師は、すぐに、教会堂を建てる計画を始めました。教会堂があれば、いつでも教会の集まりをすることができます。新しく始められた神の家族の集まる家ができます。そこで、渡辺牧師は、まず、教会堂を建てる土地を探しました。教会堂を建てるための土地を譲ってくれるところはないか。ようやく譲ってもらったのは、今わたしたちが集まっているここの土地ではありません。今の市民病院の近くの陣屋小路と呼ばれていたところにある土地でした。その土地を手に入れたのが、今からちょうど90年前の1921年のことです。 そこに教会堂が建てられたのは、翌年1922年のことでした。10月に教会堂の完成をお祝いして、神さまに教会堂をおささげする献堂式が行われました。小さな教会堂でしたが、大勢の人が集まってお祝いしました。さあ、これからは、新しい教会堂で礼拝をして、イエスさまのことを町中の人に伝えよう。みんな、そう願ったと思います。 ところが、新しい教会堂が建った翌年、1923年9月1日。大変なことが起こりました。関東大震災です。大きな地震が起こって、藤沢だけでも四千戸の家が倒れてしまいました。倒れた家から火事が起こりました。東京や神奈川を中心に、その地震で十万人以上の人が亡くなったのです。前の年に建てたばかりの藤沢教会の教会堂も、大きく壊れました。渡辺牧師の住まいである牧師館は倒れてしまいました。渡辺牧師は、その倒れた建物の下敷きになってしまいました。そのときは命を取り留めましたが、渡辺牧師は、その下敷きが原因で、その年の12月には、お亡くなりになってしまったのです。 教会として歩み始めたばかりだった藤沢教会は、建てたばかりの教会堂が壊れてしまい、そればかりか、牧師先生も失ってしまいました。それでも、そのときの教会の人たちは、イエスさまがもう一度、この教会を立たせてくださると信じて歩みました。そして、最初の教会堂を陣屋小路という場所に建ててから約十年たったとき、今、わたしたちが集まっているこの土地を与えられて、この場所での教会の新しい歩みが始まったのです。 断食ではなく「飲んだり、食べたり」! 今、わたしたちが礼拝をしているこの教会堂は、この場所に建てられた二番目の教会堂です。陣屋小路に建てられた教会堂から数えると、三番目の教会堂です。一番目の教会堂は、関東大震災で大きく壊れましたが、それでも約十年使われました。この場所に来て建てられた二番目の教会堂は、戦争で焼けることもなく、約45年使われました。今わたしたちが集まっているこの三番目の教会堂は、もう30年使ってきましたが、教会の人たちとは、まだこれから30年は使いましょうとお話ししています。昔に比べると、建物が頑丈で長持ちするようになりました。88年前の関東大震災で、一番目の教会堂は大きく壊れてしまいましたが、今のこの教会堂は、同じように大きな地震が来ても倒れないように、去年、耐震補強工事をしました。絶対大丈夫とは言えませんが、それでも、わたしたちは、昔に比べるとずっと安心して、建物を使い続けることができます。 こんなに安心して、わたしたちは、教会に集まり、礼拝を守ることができる。本当に幸いです。でも、今お話ししたように、この教会の最初の教会堂は、地震で大きく壊れてしまいました。この教会が創立したときの牧師先生は、その地震で建物の下敷きになって、それが原因でお亡くなりになりました。わたしたちは、だから、今日、創立記念の礼拝を守るとき、そのことも心に覚えたいと思います。 今日は、創立記念の礼拝をした後、「冬の防災デー」をします。避難訓練をして、炊き出しの食事をみんなで一緒にいただきます。「炊き出しパーティ」と呼んでいますが、少しもご馳走ではありません。大地震が起こって避難所生活をしなくてはならなくなったら、きっとこういう食事をすることになるだろう、という、質素な食事です。創立記念なのだから、もっとご馳走を食べたい、と思うかも知れません。そういうときがあっても良いでしょう。でも、わたしたちは、創立記念のときにこそ、この教会の最初の教会堂が建ててすぐに大地震で壊れたこと、この教会の最初の牧師先生がその大地震で倒れた建物の下敷きになって、それが原因で亡くなられたことを、一緒に覚えたいと思います。 そのとき、教会堂が壊れても、牧師先生が亡くなられても、教会の人たちは希望を失いませんでした。なぜなら、神さまがイエスさまを通して新しい命をくださって、クリスチャンになったのです。神さまがクリスチャンたちを教会に集めてくださって、いつもイエスさまが共にいてくださることが分かるようにしてくださったのです。だから、希望を失いませんでした。悲しい思いも、苦しい思いも、きっとあったでしょう。教会堂も壊れ、牧師先生も亡くなってしまったのです。でも、それでも、教会は無くなりません。イエスさまと共に歩み続けることができました。目に見える建物は、壊れるときが必ずきます。人間も、いつか死ぬときがきます。けれども、イエスさまに従うクリスチャンが集まるところ、教会で、イエスさまはいつまでも共に歩んでくださる。目に見える地上の教会と、目には見えないけれども永遠に続く天上の教会で、イエスさまはいつまでも共に歩んでくださる。だから、希望を失いません。 「炊き出しパーティ」は、だから、やっぱりパーティです。防災訓練をして、いつかは教会堂も壊れてしまうし、わたしたちも皆死ぬときが来ることを心に留めるけれども、それでも、わたしたちは、そのことを悲しんだり悩んだりするだけではなくて、もっと大切なことを覚えましょう。今、教会に集められているわたしたちには、イエスさまが共にいてくださるということです。共にいてくださるイエスさまが、最上のご馳走、神さまのくださる永遠の命、命のパンを、わたしたち皆に分けてくださるということです わたしも、あなたも、教会も、「新しい革袋」になる! イエスさまの御言葉をいただきました。イエスさまはおっしゃいました。 「新しいぶどう酒は、新しい革袋に入れねばならない。」 新しいぶどう酒というのは、イエスさまのことです。イエスさまの命のこと、イエスさまがわたしたちに分け与えてくださる命のことです。聖餐でいただくパンと杯のぶどう汁、イエスさまの御体とイエスさまの御血。その命のことです。 イエスさまは、新しいぶどう酒をわたしたちにくださる。イエスさまご自身をわたしたちにくださる。その新しいぶどう酒を入れるのにふさわしい革袋、ぶどう酒を入れる袋。そんな袋を、わたしたちは、用意できるでしょうか。わたしたちが自分で用意できるのは、古くて、イエスさまを入れるよりも、自分のワガママな心を入れておくのに丁度良いような、擦り切れた袋かも知れません。でも、イエスさまは、わたしたちに、新しいぶどう酒をくださる。新しい命、イエスさまご自身をくださる。新しいぶどう酒を入れるのにふさわしい袋、イエスさまを入れるのにふさわしい袋を、わたしたちは、どうしたら用意できるでしょう。 ただ、イエスさまにお祈りしましょう、「このわたしを、新しい革袋にしてください」と。「わたしの、古い、ワガママな自分を入れておくばかりの袋は、イエスさまの十字架と一緒に捨てさせてください。ただ、イエスさまをお入れするのにふさわしい、新しい命をいただくのにふさわしい袋に、わたしを変えてください。わたしを、新しい革袋に造りかえてください」。そうお祈りしましょう。 イエスさまは、そうお祈りするわたしたちを、必ず新しい革袋に造りかえてくださいます。わたしも、あなたも、家族も、そして、わたしたちをイエスさまの元に一つに結びつける教会も、イエスさまは、新しい革袋に造りかえてくださいます。そのために、イエスさまはおいでくださったのです。そのために、イエスさまは教会をお建てくださり、今も、わたしたちと共にいてくださるのです。 祈り 93年前に新しく教会をお建てくださいました。共にいてください。そして、今も日々、新しく造りかえてください、私も、私の家族も、この教会も。アーメン |