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受難節第1主日礼拝 奨励 「神様のプレゼント」

日本基督教団藤沢教会 2018年2月18日




奨励
斎木(さいき) 満惠(みつえ)
 [(社福)日本キリスト教奉仕団 監事]
 (日本ホーリネス教団厚木キリスト教会)
【新約聖書】マタイによる福音書 7章7~12節
 7「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。8だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。9あなたがたのだれが、パンを欲しがる自分の子供に、石を与えるだろうか。10魚を欲しがるのに、蛇を与えるだろうか。11このように、あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子供には良い物を与えることを知っている。まして、あなたがたの天の父は、求める者に良い物をくださるにちがいない。12だから、人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。これこそ律法と預言者である。」

「神様のプレゼント」
◆はじめに
 神様から頂いたプレゼント【愛の贈物】をお話できる機会を賜りありがとうございます。

 昨年末、私は東京聖書学院が主催した信徒対象の「通信講座」を受講しました。
 その時、レポート提出:課題の一つに…「創世記」のアブラハムの人生、イサクの人生、ヤコブの人生、ヨセフの人生のうちで、あなたが一番共感を持ったのは誰の人生ですか?・・・私は改めて聖書(創世記)を読み、自分の歩みを振返り考えました。
(創世記39:19~20)ヨセフは父や兄弟に17歳の時、奴隷としてエジプト人の家に売られた。ご主人の妻の想像もできない作話から、主人は怒り 王の囚人を繋ぐ監獄に入れた。
 ヨセフは囚人として監獄生活、私は病に倒れ病院生活。私はヨセフと同じ17歳の時に突然「身体の自由」を奪われた理不尽の出来事に出会いました。
 時代や背景的な環境も全く異なりますが“ふたり”が17歳の時に直面した試練に、私は共感を覚えました。

 今日は、私の3つの奨励お話します
 1.神様は苦しむ人と共におられる
    ~~哀しみ・不安・苦しい時~~
 2.神様は“その人”に最も必要な時に「人」をお遣わしになる
 3.神様のプレゼントされた
    ~『愛の贈物』~
 4.むすび

1.神様は苦しむ人と共におられる
 ~~哀しみ・不安・苦しい時~~


(・_・) 1945年終戦後の食糧難の時代でも私は幼い時から健康優良児でした。
 中学生の頃は(将来)“学校の先生”になることを夢見て青春を謳歌していました。
 17歳(高校2年)の夏休みのある日“突然腹痛に襲われ”母と姉に付き添われ急患で病院受診。急性盲腸炎と診断を受け躊躇もせずに手術を受けました。

 麻酔から覚めるとお腹の激痛は解消されていました。ところが 身体の自由は奪われ両下肢が完全麻痺。前日までの元気印は吹き飛ばされて想像もできない理不尽な身体になり怖さ・不安・辛さが幾重にも重なりパニックになりました。麻痺症状は両下肢から両手・言語にも発症。発語ができないで泣きわめいた時、病棟婦長さんから転院しても良いと言われてしまいました。民間病院から国立病院へ転院。麻痺の治療とリハビリ訓練で4年間の病院生活。最終的な障害名は「脊髄炎」による両下肢麻痺でした。

 母は娘の精神状態が安定した頃から『歩けなくても、障がい者でも貴女はあなた。神様からプレゼントされた命!』、『お母さんや“きょうだい”とは違う「神さまの愛」が貴女の重荷を救ってるのョ!』、『イエス・キリストが共に歩んでくれて貴女を支えてくれるのネ!』‥‥母が折に触れ話す一言ひとことが、閉ざされた心に素直に沁みました。
そして母は近くの教会へ相談に行きました。幼くして父を亡くした“きょうだい”5人の絆と行動力は逞しく、看護する母を支え私を救うために家族は一生懸命でした。

 当時は車いす所有など皆無の時代。教会で行事があるときは弟に背負われ、姉たちは嫁ぎ先から帰り介護用の椅子を持参して行事に同伴しました(道中、途中で休憩のため)。
 そして、私が病院から外泊した時は牧師ご夫妻の訪問、我が家を開放して「青年会」の祈り会や交わりが開かれました。
 又、病院行事の一つにクリスマスの聖夜⇒大勢の看護師さんが「白衣の聖歌隊」となり、美しい声で讃美歌を歌いながら各病棟・病室の前を訪問してくれました。

 闇を照らすロウソクの炎と賛美の歌声は「光」となって、病気と向き合う患者の不安や哀しみに希望を与え、暗闇にある私の心の中にも主により「内なる光」がともされた。

  (・_・)そのような時、神様は苦しむ私と共におられた
◆(創世記41:28~44)・・・ヨセフの方を向いてファラオは言った。「神がそういうことをみな示されたからには・・・お前をわが宮廷の責任者にする。わが国民は皆、お前の命に従うであろう。・・・
2.神様は最も必要な時に「人」をお遣わしになる

(・_・) 韓国「ピョンチャン」で冬季オリンピックが2/9より開催されて、日本選手がメダルを獲得すると華やかな雰囲気になります・・・今から54年前(1964年)「東京オリンピック」が開催されました。日本はオリンピックを迎え世の中が高度成長時代に向かって動きはじめた頃でした。

 私が入院していた国立病院(元:陸軍病院)も木造平屋建ての兵舎のような老朽化した病棟から近代建築と医療設備が整う新施設計画が勧められていました。
 戦禍により手・足が吹き飛ばされた人、爆撃により失明され障害を負われた人、栄養失調のために肺結核を患い隔離病棟で余儀なく生活されている方々が治療や医療的リハビリ訓練がゴールに近い人たちにも「更生計画」の準備が勧められていました。

 (・_・) その日は、昼食も済み病院内の渡り廊下で歩行器につかまり訓練をしていた私に病院のケースワーカーが「(施設)見学に行く車に席が一つ空いているんだけど、あなたも一緒に行かない?」と声をかけられました。入院生活に閉塞感を感じていた私は外に出られる!!・・・嬉しくなり二つ返事で飛びつきました。

 それが私の大きな転換期になるとは全然気が付かぬままパジャマのうえに“ちゃんちゃんこ”という今では考えられないラフないでたちで、車に同乗し見学に行きました。
 見学から暫くたったある日、ケースワーカーから「理由はわからないが、アガぺの所長さんがあなたに会いたいといっている。」という話がもたらされました。

 それから何日かしてアガぺの所長さんが私の病室を訪ねてきました。所長とはその時はじめてのご対面でした。訪問の目的は「アガぺで働いてみないか?」の夢のようなお誘いでした。
 あの日、見学用の車が満席なら、車が5分早く出発していたら、私が車の脇を通りかからなかったら・・・今の私はあったでしょうか?
 偶然「グリコ」のおまけのように開所一年目のアガぺ見学に同行した私でした。

 若さが唯一の売り(?)でも…車いすで社会復帰ができる時代ではありませんでした。一般社会で就職する条件は、学歴・資格・容姿・ 等の条件が必要です。ところが、何の資格も条件も求めることなく私を施設職員として招いてくれたのでした。

 ~ 神様は最も必要としている私の下にアガぺ作業所の施設長を
                     遣わされました ~

◆(創世記45:3~8)・・・命を救うために、神がわたしをあなたたちより先にお遣わしになったのです。・・・わたしをここへ遣わしたのは、あなたたちではなく、神です。・・・
(・_・) 余談

 私が社会にデビューすることを誰よりも喜ぶと思っていた母が以外にも反対をしました。身体障がい者の娘を手離すことは親の責任放棄(?)と自分を責めたのでしょうか・・・私は就職すると自己主張! 仲裁に入った姉が困って婦長さんに相談しました。

 (元)従軍看護婦の婦長さんは『本人が働きたいと言っているなら希望通りにしては? 家族が心配で手離せないが理由なら問題。外国へ行くわけでなく隣町へ行くだけ。』『失敗したらまた戻ればよい。』の言葉に母のスイッチが入れ替わり、私は4年間の入院生活を卒業して1965年社会にデビューしました。

 車いすでは障害者職業訓練所にも入校できず障がい者の雇用など考えられない時代、人間の意志を超えた力が反映されて、施設職員(会計事務員)に採用されました。
 数年後、なぜ私が雇用されたか所長に問うと『比較社会のなかで段差が越えられない人を社会復帰してもらうことがアガぺの使命だョ…』の即答を肝に銘じました。

3.神様のプレゼント~「愛の贈物」~

「救いの体験」

 慌ただしく社会復帰した私は、実家から離れて自立した生活がスタートしました。

 ~ 真実の救いと希望というのは、水平の次元を超えた、垂直の世界からくることを神様は示され、私を救ってくださいました ~
 いつの間にか日曜日は、自分が気が向いたときだけ職場の近くの「教会」・友人から「教会プログラム」の誘いをうけた時だけ・・・教会に行くだけ。
 私は知らず知らずのうちに傲慢で不遜な生活をする“罪人”になっていました。

(・_・) ある日「いのちの電話」ボランティア募集を知り悩める人に寄り添いたいと応募しました。

 “人のいのち”と対峙して傾聴に務める1年間の相談員訓練は相当厳しく適正が【ある・ない】ふるいにかけられながらステップアップ。いくつかの難関を超え傾聴訓練に入った時、ファシリテーターから『傲慢な聴き方。』『悩める人に寄り添っていない。』『そんな接し方では相談者が自殺する。』と厳しく注意を受け落ち込みました。

 神様から離れ自分勝手な生活をしていた私は40代を過ぎてはじめて挫折しました。

(・_・) その時、今までの歩みを振返り社会で弱い人や悩める人に寄り添いたいと願うなら、今迄のような「教会」の繋がりを深く悔い改め「教会生活」を1からはじめようと悩んでいました。

 その頃、国際精神里親運動の会員の「総会」が開催され私は出席しました。グループで一緒になった方が偶然、私の自宅に近い「厚木キリスト教会」の婦人会長さんでした。20代で神様の愛を享受しながら長い長い道程を経て44歳の時に「救いの確信」~日本ホーリネス教団「厚木キリスト教会」で受洗しました~
◆(創世記50:19~20)恐れることはありません。・・・神はそれを善に変え多くの命を救うために、今日のようにしてくださったのです。どうか恐れないでください・・・。
 神は兄たちの罪や過ちを用いて歴史に介入して、多くの人々の命を救うためにヨセフをエジプトに遣わされました。

4.むすび

 『求めなさい。そうすれば与えられる。探しなさい。そうすれば見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。だれでも、求めるものは受け、探すものは見つけ、門をたたく者は開かれる。』
                 (マタイによる福音書7:7~8)


(・_・) 私たちは日々、まわりの人たちと色々のことで比較して生きてます。富や知恵、あるいは能力や体力などで比較しています。このような比較社会の中で、私たちは少しでも優れていれば優越感に浸ったり、劣っていれば悩み苦しみ落胆したりしますが、人間として最大限 努力しなければなりません。

 しかし出来ないこともたくさんあります(加齢・病気・障がい・人間関係・・・等々)。その時は、自分の限界を知って不可能なことは神さまに委ねれば良いのです。

(・_・) 神さまは今も、社会的に弱い立場の人々、いばらの道に迷い込んでいる人たちへ希望の道へ導いています。私は真暗の闇のなかで「希望の光」が照らされ扉が開かれました。貴重な全ての体験や一人ひとりの尊い出会いは神様の「愛の贈り物」で私の宝物であり財産です。

 主イエス・キリストの愛と福音の力に感謝して   アーメン





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