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受難節第4主日礼拝 説教 「聞くべき言葉、口にすべき言葉」

日本基督教団藤沢教会 2018年3月11日

【旧約聖書】出エジプト記    24章12~18節
【新約聖書】マルコによる福音書 9章  2~10節

「聞くべき言葉、口にすべき言葉」
 モーセがヨシュアと、イエス様がペトロ、ヤコブ、ヨハネと、神様を礼拝するために山に登ったように、神の家族である私たちもまた、イエス様と心を一つとなし、神様の御心を我が心となすために、こうして主の日の礼拝へと招かれて参りました。そして、その一方で、今年は、3月11日が主の日と重なったため、7年前の東日本大震災を思い起こしつつ、この日の礼拝に集った方は多いことと思います。ただ、私の場合、7年前の大災害に加えて、その以前より、この時期、ある出来事を常に思い起こさせられるものでもありました。それは、十万人以上の命が失われた東京大空襲のことです。東京の下町で育ったため、この東京大空襲については、物心ついたときから親や周囲の大人たちから聞かされ、刷り込まれてきたため、直接自分で体験したわけではないのですが、3月10日のことがどうしても心に引っ掛かってならないのです。

 ただ、大人たちの話を聞く中で、幼いときから不思議に思っていたことが一つあります。それは、家族を失い、全財産を失ったにもかかわらず、大人たちが、ただ一度たりとも、戦争について恨みがましい言葉を口にしたことがないということです。それは、子供への配慮がそうさせたわけではないと思います。不器用で正直な下町の大人たちが、子供に対してそのような配慮等端からするはずもないからです。また、そうであるがそれゆえにまた、東京大空襲について、ごくごく自然に、私が生まれる十数年前に起こった出来事を子供たちに何気ない日常の中で語り聞かせていたのだと思います。そして、それは、過去の悲惨な出来事が決して人ごとではなく、この思い出したくもない出来事を、大人たちが自分の身に起こった事柄としてきちんと受け止めていたからだと思います。

 ですから、おかしいと思うかもしれませんが、子供同士の会話の中でも、「もうすぐ東京大空襲だよな」とか、「今日は、東京大空襲があった日だなとか」、そんな会話がごく自然になされておりました。そして、それは、私が特殊な環境下にあったからではなく、恐らく、戦後を歩んだ日本人の多くが、過去の忌まわしい出来事を自分自身にあったこととして真っ正面から受け止め、共に生きる子どもたちに語り聞かせていたのだと思います。同じような経験を語った友人が、学生時代、何人もいたからです。また、教会のある集会で、戦中戦後を歩んだ世代の方々と戦後の歩みについての話をすることがあったのですが、その時、思い切って、私が不思議に思っていることの理由を出席者に尋ねてみたのです。すると、そこで、返ってきた答えは、「みんな同じだった」「だって、しょうがないじゃない」、そういう返答でありました。ただ、そうした返答のあり方は、その言葉だけを抜き出して何かを語るなら、消極的な意見であるがゆえに、今日、人によっては違和感を覚える方もいることでしょう。けれども、戦後の苦しい日常を過ごし、数十年を経た後の今日の社会の姿を見るならば、戦後を生きた大人たちのそうした発言を消極的だと非難することはできないようにも思います。なぜなら、敗戦を我がこととして積極的に受け入れ、大人たちが脇目も振らず将来に向かって歩んでいったからこそ、そこにいいものも悪いものもいろいろあったとしても、それが、今日の私たちの社会を形づくったのは間違いないことだからです。

 しかし、だから、過去の出来事を、大人たちが忘れたということではありません。先ほどの返答に加えて、大人たちがよく口にしていたことは、「もう嫌だ、絶対にあんな目にはもう二度と遭いたくない」ということでありました。つまり、私の周囲にある大人たちが日頃より醸し出していたことは、そういう素朴な思いでもあり、その思いを、子供として感じ取っていたのだと思います。また、それだけに、「上を向いて歩こう」との思いが、同じ経験をした大勢の人たちがそこで一緒にいたからこそ、ごくごく自然に人々の心に湧き上がっていったのだと思います。歴史家でもあるジョン・ダワーは、その著書「敗北を抱きしめて」の中で、戦後をしたたかに、大胆に歩んだそんな日本人の姿を克明に記してくれていますが、敗北、それに伴う悲惨な現実、人々の苦渋、そして、その中で人々が見出したささやかな楽しみ、戦後を歩んだ人々は、少なからず、自らの境遇のネガティブな面を、後ろを振り返りつつも、なお、前を見つめるための力として、抱きしめ、受け入れ歩んで来た。そういうしたたかさ、強さをみんなが持っていたから、だから、私たちは、今日をこうして迎えることができたのだと、私はそう思っています。しかし、7年前の出来事を通し、私たちが知らされたことは、私たちが築き上げてきたものの綻びでもありました。原発事故は、そのことを象徴的に現しているように思います。

 震災直後、しきりに言われていた言葉の一つとして、絆という言葉がありました。ただ、今ではどうでしょうか。この絆という言葉を直近で耳にしたのはいつのことだったかと思います。では、この絆という言葉を耳にすることが少なくなったのは、絆が強まり、深められたからでしょうか。そもそも、震災直後、絆と言うことを繰り返し語らなければならなかったところに、震災前後の、そして、今日も、状況は何も変わってはいないように思いますが、現在の私たちの置かれている現実が現されているように思います。それは、共同体感覚の喪失です。かつて恥ずかしかったことが恥ずかしげもなく表に出てきている現実、そういうことを感じさせられることが多くなってきたのは、そうした感覚が薄まってきたためだからだと思います。だから、言わずもがななことを敢えて口にしなければならない馬鹿馬鹿しいことが平然となされるようになってきているのだとも思います。従って、震災直後、絆という言葉が繰り返し語られたのは、共同体が破綻していることが、震災によって浮き上がらされたからであり、このことを、多くの人々が無意識のうちに感じ取っていたからなのではないでしょうか。つまり、原発のシビアアクシデントは、まさにそういう状況の下にあって、現実のものとなったということです。それゆえ、それだけに、共同体感覚の再構築を、人と人とがつながりをもって生きているというこの実感を、その時、日本中が自分のこととして求めたのでしょう。

 従って、このことは、震災とか、災害とか、そういう特別な何かが起こったときだけの問題ではありません。人の死然り、絆が断ち切られ、生き続けることすらおぼつかない状況にあって、そこで問われることが、まさに絆というものである以上、絆という言葉をもって現される人と人との関係性は、何かがあったときに初めて問われるものではないからです。こうして何もないこの時に、人と人とが繋がってどのような関係性を築いているのか、何かがあったときに問われることは、このことなのだと思います。つまり、何かがあった時に、どうしようどうしようとうろたえるのではなく、困ったときに、自ずと互いに気遣うことのできる関係性、3月11日という日を覚えるこの時、私たちに問われていることは、自分たちが今、どのような関係性の中に生きているのか、どのような関係を具体的に築いているのか、この点であるということです。そして、この日、3月11日だからこそ、こうして教会に集められている私たちは覚えたいと思います。私たちが、具体的にそれができる関わりの中に招かれているのだということを、です。

 7年前の3月11日は、金曜日で、その翌日に福島第二原発のシビアアクシデントが起こり、そして、東日本では特に、原発事故に伴う先の見えない不安の中で、私たちは、主の日を迎えることとなりました。そして、前任地では、その日、いつも通りの顔ぶれが礼拝に集い、共々にいつもと変わりない礼拝を献げるものでした。讃美の声は大きく、アーメンとの声も大きかった。祝祷の際のアーメンとの応答も、普段以上に大きかったことを記憶しております。そして、それは、藤沢教会も同じであったと思います。けれども、私もそうですし、信徒の皆さんもそうでした。制御不能に陥っている原発の状況を思い、誰もが不安を抱えてもいたのです。しかし、そのような中で、私たちは礼拝へと集められ、普段と変わることなく礼拝を献げていた。それは、礼拝こそが、私たちの日常生活の中心を形づくるものだからです。そして、私たちがこの中心へと向かったのは、私たちがそれを身体感覚として身につけていたからなのだと思います。つまり、礼拝に行かざるを得ない、行くのだと、そう強く思わせることにもなったのは、行かないことが気持ち悪いという、そういう感覚を私たちが持っていたからです。そして、それと共に、もう一つ私たちのその背中を強く押したものがありました。それは、主にある兄弟姉妹への気遣いです。「あの人はどうだろうか、大丈夫だろうか」と、つまり、こうして一緒にいる兄弟姉妹と会いたいとの思いです。神様にお会いし、自分だけが安心できればいいということではなく、イエス様と繋がってこうして一緒に人生を歩んでいる兄弟姉妹と会いたい、教会に集められ、養われている私たちの共同体感覚が、その時、私たちの背中を強く押すことになったのだと思います。そして、それが、私たちの信仰なんだと、私は思います。

 ですから、今申し上げたことは、理屈として整理して、言葉に言い表すことではないと思います。直感的で、感覚的なものであり、身に具わっていること、染みついていることなのだと思います。つまり、理屈として聞いているだけでは、とっさの動きにはならないように、繰り返し繰り返し、普段からやって来ていることだから、だから、普段と変わらずに同じことを同じように行うことができた、そういうことなのだと思います。そして、今日の御言葉にもあるように、神様とイエス様がこうして礼拝を献げる私たちに望んでいることも、それと同じで、特別な何かを望んでいるわけではないということです。まただから、私たちも、普段から神様とイエス様の御心に聞いている私たちは、神様とイエス様が望むように振る舞うことにもなるのです。

 ですから、そうした神様と私たちの関係性を一言で申せば、いつもと変わりなく食卓を整えてくれる、お母さんと子供との関係性に近いということです。「お母さん、お腹すいた。早くご飯にして」と叫ぶ子供に、「分かったわよ」といってご飯を出してくれるお母さんのように、イエス様のことを信じる私たちにとっての礼拝とはつまり、必要な物をそこで与えられているという、そういう安心感が与えるものなのだと、私はそう思います。だから、イエス様と共に神様に導かれながらそういう日常を生きる私たちは、何かあるからということではなしに、何かあってもなくても、私たちの日常生活の中心である礼拝を大切にし、また、大切にするからこそまた、礼拝で語られる神様の言葉に応え、私たちは、神様に喜ばれるようにその日常を形づくることにもなるのだと思います。それは、普段から私たちには、この変わらない神様の御心が与えられ、それを私たちは、食べているということです。

 ですから、どんな時にも、どんな場合にも、神様が私たちに語りかけてくださっているわけですから、こうして主の教会に繋がり、礼拝に集められ、神様の御心を食べている私たちには、常に聞くべき言葉、語るべき言葉があるということです。牧師のつたない言葉に一喜一憂することがあったとしても、それでも、私たちが歩み続けることができるのは、そのためであり、また、それを実際に証明しているのが私たちなのです。だから、そのことを感覚として身に備わっている私たちは、あの時、理屈抜きに普段通りに、礼拝に集まることになったわけです。まただから、その時、私たちは安心することができたわけです。ただ、その時、牧師が何を語ったかを覚えている方は少ないように思います。それは、そういうものだし、それでいいからです。ですから、覚えていないことに、牧師が文句の一つでも言おうものなら、それは、牧師の方が間違っていると思います。なぜなら、神様がなさることは、私たちに恩を売るためになされるものではないからで、また、そのことをイエス様は、私たちに今日の御言葉を通し、感覚的に教えてくださっているように思います。

 何千年もの長い時を歩み続けてきた神の民のその歴史において、その都度、こうして御言葉に聞く人々を励まし、支え、守り続けてくださってきたものが神様の御言葉であったのですが、そこで語られた御言葉がすべて一字一句忘れずに人々の心に刻まれたわけではないと思います。もしかしたら、御言葉というものは、時に私たちの耳の右から左へと通り過ぎるだけものなのかもしれません。だから、そういう意味で、自分の母親が造ってくれた毎日のご飯と似ていると言ったのです。いちいち覚えていないし、そのことに格別に何かを感じることもない。けれども、毎日毎日、うまかろうがまずかろうが、文句ばかりが口につこうが、それを日々の糧として食べてきたから、だから、私たちは、こうして大きくなることができたわけです。そして、それが、私たちが今こうしてあると言うことなんだと思います。そして、そこでまた、私たちがうまいまずい、食べたい食べたくないと、親を喜ばせ、怒らせる、そういう一つ一つの関わりを通して、感覚として身につけることが、私たちがこうして生きる上での力となっているのだと思います。さきほど、身体感覚、共同体感覚というものは、そういう日常を私たちが共にする中で養われるものであると申しましたが、だからこそ、私たちは、この日常の中心に置かれているものを大事にしなければならないのです。

 ですから、中でも私たちが最も大事にしなければならないことは、神様とイエス様が私たちと一緒にいてくださっているという、この事実、現実を受け止め生きるということです。そして、御言葉が今日私たちに最も伝えようとしてくれていることもこのことであるように思います。御言葉が、ペトロに向かい、神様が雲の中から「これは私の愛する子、これに聞け」と仰ったと語り、また、モーセがシナイ山の上で見たものを「主の栄光」と、そう呼んでいるように、神様のこの声を聞き、その御心を我がものとして、神様とイエス様と共にある日常を共に築くよう召されているのが私たちなのです。ですから、あの日、私たちが、いつもと変わりなく教会に集められてきたのは、私たちがそのように常々生きているからであり、イエス様を信じる私たちを、神様は、永遠のその交わりの中に置かれ、終わりまでを導いてくださっているから、つまり、私たちがこうして集められている教会という交わりとは、そういうものであるということです。

 最後に、では、このコミュニティー、交わりへと招かれているのはどういう人なのでしょうか。メンバーと言うことであれば、洗礼を受けた私たち、ということになるのかもしれません。けれども、共同体というものは、今ある人たちだけで形づくられているのではありません。先に召された人、これから生まれてこようとしている人も含めてのことであり、つまり、神様の御心の内に置かれているすべての人々、その人たちも私たちのコミュニティーにおいて大切な人たちであるということです。それゆえ、それは、洗礼を受けていない皆さんのご家族、幼稚園の子供たちとそのご家族、幼稚園の先生方、そして、私たちとその暮らしを共にする地域の方々、これらの人々を含め、私たちは共に生き、教会によって養われ育まれたこの感覚をもって歩んでいる一人一人であるということです。ですから、その中にある喜びも悲しみも、主にあって与えられたものであり、そうである以上、それを互いに担い合うことは、私たちにとってはごくごく自然なこととなります。ただ、家族が家族として歩むことが理屈通りには行かないように、そうした歩みは、互いに難しい課題を引き受けあっていかなければならないだけに、時に、尻込みしたくもなるのでしょう。けれども、その時にこそ、イエス様に倣い、お従いしたいとも思うのです。すべて親任せでは子供は成長しないように、やってあげることも大切なことなのですが、互いに担い合い、できなかったことをできるようにさせてあげるために、何が必要であり、何が大切であるのかをよく考えさせてあげて、その上で、丁寧に親切に教えてあげる、イエス様に倣うと言うことは、つまりは、そういうことなのだとも思います。また、だから、イエス様とのこの関わりを通して、私たちは、自分自身がこうして生きている共同体とそこに生きる個人としての感覚を身に備えていくことになるのです。

 神様は、このことのために、その御心を私たちの日々の暮らしの中において語りかけて下さっているのであり、まただから、その言葉をもって、私たちは、様々な人々と笑顔をもって共に歩んでいくことができるのです。このように、互いに喜び、互いに悲しみつつ、共にあることを我がこととする歩みが私たちには備えられており、その私たちを足下から支えてくださっているのが、私たちのイエス様でもあるのです。ですから、そのような交わりの中に置かれていることをもう一度しっかりとそれぞれの胸に留めながら、主が備える新たな歩みへと進み行きたいと思います。

祈り
 




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