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平和聖日主日礼拝 説教 「左の頬を差し出せ」

日本基督教団藤沢教会 2018年8月5日

【旧約聖書】イザヤ書       54章  1~10節
【新約聖書】マルコによる福音書  10章13~16節

「左の頬を差し出せ」
 8月の一ヶ月間、私たち藤沢教会では、「平和月間」として、平和を意識しつつ、礼拝を献げるものですが、今日は、その最初の主日として、この「平和主日」の礼拝を守っています。そこで、この平和という言葉から私たちが思い起こさせられることは、七十年以上前にあった戦争という悲惨な体験でありますが、敗戦から七十年以上が過ぎ、ましてや、日本が戦争へと一気に舵を切ったその時から数えれば、すでに九十年近くが過ぎているわけです。それゆえ、同じことを繰り返さないためにも、この悲惨な出来事への思いを共有することは、とても大事なことのように思います。けれども、それが難しくなりつつあるのは、皆さんもご存じのことと思います。それゆえにまた、戦争体験者、その苦しさを直接当事者から聞いてきた人々は、語り続けねば、理解してもらわねばとの思いを強くすることにもなるのでしょう。けれども、これまでのそうした試みが、今、かつてのように効果を発揮できずにいるように思います。それゆえ、その思いが伝わらずに空回りしている、それどころか、歯車が以前とはまったく正反対の方向に回り始めている、そんな世の中の空気を感じさせられもするのです。しかし、その一方で、まだ多くの国民は、かつてあった悲惨な出来事を忘れたわけではありません。

 私たちの記憶から明治維新の騒乱が風化していったように、人間の記憶の風化は、避けることのできない現実です。けれども、戦争の総括がなされていないとの思いを、未だに多くの人々が持っているのもまた事実としてあるのです。ですから、かつてのあの悲惨な出来事を忘れないためにも、私たちには、まだなすべきことがあるのです。ただ、その伝え方については、修正が求められているように思います。人々の感情に訴えるようなあり方ではなく、また、周知の事実として、ただ反対、反対と一方的に訴えるのでもなく、もっと別の方法を考えなければならないということです。なぜなら、戦争経験のない者にとっては、ましてや、遠い過去の出来事として、教科書を通してでしか戦争を知り得ない者にとっては、語り手への共感だけを求められることは、語り手のその気持ちが強く高い分、語り手との隔たりを感じさせられることにもなるからです。ましてや、そこで、どうして分かってくれないのかと言って怒りを露わにされたり、また、どうせ気持ちなど分かってもらえないと言って、その心を閉ざされたりしたなら、それでは、分かりたくても分からない、それこそ、とりつく島もない状況を作り出すことにもなるからです。

 ただ、だから、共感など不要だなどと申し上げるつもりはありません。直接体験した人々と共感し、その体験を生きたものとして次へと伝えていくためには、伝える側の事実に基づいた冷静な対応が求められているということです。それは、多くの国民が未だ戦争の総括が不十分だと感じ、また、国民の大半が戦争については未経験である現状において、あの時、そこで何があったのかを、直接経験したことのない人々に自分のものとしてもらう必要があるからです。ですから、そのためには、工夫が必要でしょうし、また、そのためにも、押しつけではなく、先入観抜きに先ず事実に触れてもらい、その上で、そこであった出来事をそのまま感じてもらう必要がある、憶測や思い込みや気持ちではなく、ありのままの事実だけを伝え、もう嫌だ、懲り懲りだと、そう思ってもらうことが大切であるということです。従って、そのためにも、従来の手法を見直す必要がありますし、事実を実として見つめ直す姿勢はこれからも求められもするのです。そこで、手前みそとの誹りを恐れずに申し上げるなら、そのための大きな助け手となるのが、こうして何千年も変わらずに御言葉に聞き、かつてあったことを同じように今のこととして聞き、伝えている、私たちクリスチャンでもあるということです。

 そこで、今日の御言葉にもあるように、御言葉の伝える「平和」とは何かということを改めて考えてみたいのですが、平和とはつまり、命そのものが祝され、その命が守られ、支えられ、広がりをもって続いていくことであり、命が命としてそのありのままの姿を喜ぶことができる状態に置かれているということです。そして、それが私たちに約束されているのは、「平和の契約が揺らぐことはない」と御言葉にあるように、混沌とした状況に秩序を与え、一つ一つの命を守り導く状況を作り出すのが私たちの神様であり、その神様が、私たちと共にいてくださっているからです。つまり、あなたたちのことは絶対に見捨てはしないと、神様が私たちに向かい、そう仰っておられるということです。従って、私たちが平和について語りうるとしたら、この神様への信頼ゆえのことであり、この、神様が信頼するに足るものであるとの了解の下に、私たちは、平和という言葉を口にすることができるということです。私たちが平和というこの単語を知っているからでもなく、また、平和しか味わったことがないからでもありません。聖書が私たちに伝えてくれていることの大半が、混沌とした状況に置かれた人々の姿であるように、そこで、人々が平和の有り難さをしみじみ感じ、有り難いものだと口にするのは、今日のイザヤ書もそうですが、先の見えない混沌とした状況の中で、なお、神様の約束に信頼することができるからです。そして、このことを体験的に知らされているのが、維新後、異教の神であるキリスト教を信じるに至った私たち日本のキリスト者でもあるのです。

 ところで、戦争ということが語られる中で、戦争という言葉が使われなくなれば、戦争という言葉がこの世からなくなれば、そんな一言を時折耳にすることがありますが、戦争という言葉がまったく意味を持たなくなった時期が、かつて、私たちの国においてはあったのです。それがいつのことかと言いますと、徳川幕府の鎖国政策の下、三百年近くを過ごした幕末の頃のことでありました。その頃、世の中では、いくさ、戦争という言葉はほとんど使われなくなり、ほぼ死語に近い形になっていたのだそうです。先日、読んでいたものの中にそうした記述を見つけ、私も驚いたのですが、戦いの道具である刀や鉄砲が、その本来の役割を失い、形ばかりのものとなっていたように、そもそも戦の担い手でもある武士がそういう状態であったわけですから、多くの人々の記憶の中から、いくさ、戦争という言葉が失われていたとしても、それは不思議なことではありません。けれども、天下太平の陽だまりの中を三百年近く過ごし、人々が向き合うことになったのが、幕末の騒乱でありました。そして、そうした中で信仰へと導かれていったのが、この混乱と混沌を経験した、キリスト教信仰の第1世代の人々でもあったのです。それは、救いと平安を求めてのことでもありましたが、けれども、そこで多くの人々が感じ取ったものは、平和か、さもなくば、いくさか、ということではありませんでした。

 人々は、混沌に身を置けばこそ、御言葉を通し、神様の御心に出会い、神様の御心を知らされることになったのです。それは、具体的に言えば、私たちの神様は、こうして神様の造られた世界に生きる私たち一人一人を大切に大切に思ってくださっているということを知ったということです。ただ、もちろん、だから、同じようにすべての人が、ということではありません。なぜなら、明治の中頃まで、右肩上がりであった信徒の数も、明治の中頃を境にその勢いを失い、それは、政府の打ち出した一つの政策によるものでしたが、そして、日露戦争を経て、その勢いは一気に失われることになったからです。そして、そのわけは、物珍しさと何か役に立つであろうとの思いで門をくぐった人々が、蜘蛛の子を散らすように教会から去って行ったからでもありますが、けれども、それでも信仰から離れず、教会に留まった人々が大勢いたのは、神様が大切にしてくださっているとのこの思いを、主イエスへの信仰を通して強められ、深められていったからです。ですから、そのことを思えば、イエス様がここで仰っていることは、分かりにくい話ではありませんし、また、戦争がどうしていけないのかも、このことから分かるように思います。

 政府が打ち出した富国強兵の名の下に、日本の近代化が始まったわけですが、その中で、人々もまた、立身出世を願い、努力し、日本の成長と発展に参与していくことになったのです。ですから、童謡故郷の一節に「こころざしをはたして  いつの日にか帰らん」とあるのは、そんな当時の時代状況を現すものでもありますが、それゆえ、日本の近代化を実現した人々の自立心、その志の高さは、理解して余りあるところがあるように思います。そうした明治を生きた人々の気骨に接した人々もまた、その高い志を受け継ぎ、戦争により灰燼と帰した国土の復興を成し遂げることになったからです。そして、それはまた、私たちクリスチャンも同じです。クリスチャンとして、この日本に大きな足跡を残すことになった人々も、国のため、そこに生きる人々のためと、日本という国の発展と成長を願い、教育、福祉、医療などの分野で活躍することになったわけです。けれども、同じように近代化を目指した明治のクリスチャンが、世の人々とその歩調を合わせ、その同時代を歩んだとしても、山室軍平、石井十次、留岡幸助、そして、津田梅子、羽仁もと子、それ以外にも教育、福祉などの分野で大きな働きをなした大勢の女性たちがおりますが、これらの人々のその働きの示すことは、成長と発展ばかりを目指したわけではありませんでした。

 キリスト教信仰より大きな影響を受けた彼らにとって、成長と発展を目指しつつも、それが彼らの目的ではありませんでした。キリスト教事業をなした人々の目指すところは、人が人として大切にされるべきものである、ことのことを実践し、形に表すことであったからです。しかし、近代化のその過程において、このことは、成長と発展を阻害するものと見なされ、そのため、様々な大義名分の下、目指した者とは逆行する状況が、生み出されることにもなったのです。そして、それがまさに際立つ形で現れ出ることになったのが先の大戦でもあり、それゆえ、その戦い方の中に、その根本的な姿勢が現れされ、結果、多くの人々の命とその生活を踏みにじることにもなったのです。

 そこで、一つ伺いたいのですが、皆さんは、海軍大佐でもあった水野廣徳という方をご存じでしょうか。この人は、日本が戦争へと大きく舵を切ったその時代、国力の違いから、日本は、対米戦争をする資格がないと言い切っていた方ですが、その一方、先の大戦については、それでも、どうしても避けられないものであったとの意見があります。けれども、この仕方なかったというこの意見が無視できないものであったとしても、水野が言った、この資格がないということは、やはり、正しいように思います。国力の違いだけではなく、その戦い方を見ればすべてが明らかなことだからです。それが、人を大切にしていないということであり、だから、負けたわけです。それゆえ、成長、発展、拡大といった、勝利だけを至上命題とした国家観、戦争観は、ただ敗戦だけをもたらすことになりました。軍民合わせて、三百万人以上の人々の命が失われ、しかも、それが敗戦末期の一年間に集中し、さらには、戦死者の大半が餓死、病死であったわけですから、勝ち方も負け方も知らない、まさに戦争をする資格そのものがなかったということです。

 そして、それは、同じように戦争に負けたドイツとの比較においても明らかです。1933年と敗戦直前の1944年の食糧自給率の比較において、戦争末期のドイツでは、1割から2割、食料が増産されたとのことでありますが、一方日本はどうであったのか。食糧自給率は、約6割にまで落ち込み、国民は、窮乏生活を余儀なくさせられることになったのです。従って、戦争遂行者には、国民生活をそもそも維持しようとする意思すらなかったということです。単純にドイツと日本とを比較すべきではないとの意見はよく分かりますし、また、だからドイツは戦争をする資格があったなどと言うつもりもありませんが、同じように大きな過ちを犯すことになったそれぞれの国の対応の違いが、自ら犯した過ちに対するその後の対処の違いとなって現れているようにも思います。それゆえにまた、思うのです。負けを負けとして認めることのできないところでは、結局は同じことが繰り返されるだけなのではないかと。

 ならば、そうした轍を踏まないためには、人はただじっと動かずに寝ていればいいのかというと、もちろん、そうではありません。命が命として輝くことが神様の願いであるからです。ですから、そのためにも、私たちには、それぞれに与えられた賜物を生かすことが求められもしますし、まただからこそ、主イエスは、ここで、こうして御言葉に聞く私たちに向かって、「子どものように」と、こう語りかけてもくださっているのです。ただ、主イエスが仰る「子どものように」というこの言葉を、成長、発展、その勝利を至上命題とするところから見ていくなら、この主イエスの言葉は、子供じみた、子供だましの戯れ言ということにもなるのでしょう。力こそがものを言う世界、どれだけ多くを所有しているかが第一である、そういうところでは、主イエスのこの言葉は、そもそも意味すら持たないことにもなるからです。ただ、そこで、私たちは誤解してはなりません。子どものようにと言うことを、主イエスが、無垢でけなげで、可愛らしい、誰からも愛される存在として、このことを語っているわけではないからです。なぜなら、見た目のかわいらしさだけが、神の国を受け継ぐ条件であるなら、私たちクリスチャンは、神様のペットに過ぎないことにもなりましょうし、もちろん、そうではない。ならば、「子どものように」とはどういうことなのか。

 子どものようにと主イエスに言われ、ハイ分かりましたと言った塩梅で、子どものようになることはできません。ですから、そもそも子どもというものはどういうものなのかを考えないわけには参りません。子どもとはつまり、自分を育み、大切に思う存在を求めますし、そこで大切にされたとの思いが、その成長の過程でいろいろあったとしても、その人個人に幸せをもたらすことになるのです。そして、親が子どもに対し、そのように接するのは、親にとって、子どもは子どもだからです。つまり、主イエスが、子どものようにと仰っていることは、子どもは子どもであり、その子を神様が慈しみ、見放すことなく、大切に大切に育ててくださっているということです。そして、このことは、子どもは子どもだということを受け入れる者には、 説明するまでもないことです。だから、子どものように振る舞うわけで、ですから、主イエスが言わんとしていることは、子どもを閉め出そうとした弟子たちの対応からも分かります。立派になろう、大きくなろう、そのためには、そこからこぼれ落ちる者がいたとしても仕方がない、主の弟子たちが考えていたことはそういうことであり、だから、神様の子どもである主イエスは、自らの体験を通して、いやそうではない、子どもは子どもであり、お前たちも、そして、私の周りに集まる者たちも、さらには、主の十字架と復活の出来事が明らかにするように、神様が造られたすべての者が神様の子どもなんだと、主イエスは、この短い一言をもってして教えようとされたのです。

 そして、私たちが、そのことを実際に知っているのは、主イエスと私たちとが共にあるからです。また、だから、今日の御言葉は、最後にこう語りかけるのです。主イエスは、「子どもを抱き上げ、手を置いて祝福された」と。つまり、自分が神様の子どもであることを、私たちは、主イエスに抱き上げられ、祝福され知らされたということです。そして、私たちにとって、それが、この礼拝のひとときであり、この礼拝を通し、私たちがそこで主の愛を知るのです。特に、今日は、主の命そのものに与る聖餐式が行われるわけですから、なおのこと、この大切にされているとの思いがはっきりさせられるわけです。従って、この大切にされているとの思いが、また、私たちをして人を大切にさせるわけで、ですから、そういう意味で、私たちに与えられている様々な賜物、時間であったり、力であったり、宝であったり、私たちそれぞれに与えられている賜物は、自分自身を喜ばせるためだけに与えられたわけではありません。むしろ、人を大切に思うために用いるべきもの、それが神様からの賜物、恵みであり、そのために、神様は私たちを大切に思ってくださっているということです。

 ですから、その私たちが、そのような神様との関係性の中を常に歩むことができるなら、平和は私たちにとって、それこそ、戦乱の中にあっても感じることのできるものです。そして、この私たちの関わりの中に、戦いに明け暮れる人々を招くことができるなら、その人たちは、この関わりの中に留まりたいと、そう思うに違いありません。それゆえ、私たちは、この藤沢教会を世の人々にそう思ってもらう必要がありますし、また、私たちだけではなく、世界中にある教会がそのように世の中から認めてもらえるなら、私たちがかつて体験した、あのような忌まわしい悲惨な出来事は、二度と繰り返されることはありません。従って、平和聖日を迎えたこの時、私たちがなすべきことは、平和について学び、平和について語るだけで終わるのではなく、神様が造られたこの世界にあって、まずは自分の隣人、皆さんの隣にある一人ひとりの人々を大切に思い、その人々との日々の暮らしを大切にしていく、そういうことであろうと思います。ですから、こうしてすでに与えられている主にある平和を形に表していくためにも、花には水を、隣人には愛を、平和月間でもあるこの一月、主の子どもとして、神様に大切に思われているということを形に表して参りたいと思います。祈りましょう。

祈り
 




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