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聖霊降臨節第6主日礼拝 説教 「神は死んだ」

日本基督教団藤沢教会 2019年7月14日

【旧約聖書】ルツ記 1章19~22節
19二人は旅を続け、ついにベツレヘムに着いた。

 ベツレヘムに着いてみると、町中が二人のことでどよめき、女たちが、ナオミさんではありませんかと声をかけてくると、20ナオミは言った。
 「どうか、ナオミ(快い)などと呼ばないで、マラ(苦い)と呼んでください。全能者がわたしをひどい目に遭わせたのです。
21出て行くときは、満たされていたわたしを
 主はうつろにして帰らせたのです。
 なぜ、快い(ナオミ)などと呼ぶのですか。
 主がわたしを悩ませ
 全能者がわたしを不幸に落とされたのに。」
 22ナオミはこうして、モアブ生まれの嫁ルツを連れてモアブの野を去り、帰って来た。二人がベツレヘムに着いたのは、大麦の刈り入れの始まるころであった。

【新約聖書】ルカによる福音書 17章11~19節
 11イエスはエルサレムへ上る途中、サマリアとガリラヤの間を通られた。12ある村に入ると、重い皮膚病を患っている十人の人が出迎え、遠くの方に立ち止まったまま、13声を張り上げて、「イエスさま、先生、どうか、わたしたちを憐れんでください」と言った。14イエスは重い皮膚病を患っている人たちを見て、「祭司たちのところに行って、体を見せなさい」と言われた。彼らは、そこへ行く途中で清くされた。15その中の一人は、自分がいやされたのを知って、大声で神を賛美しながら戻って来た。16そして、イエスの足もとにひれ伏して感謝した。この人はサマリア人だった。17そこで、イエスは言われた。「清くされたのは十人ではなかったか。ほかの九人はどこにいるのか。18この外国人のほかに、神を賛美するために戻って来た者はいないのか。」19それから、イエスはその人に言われた。「立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。」


神は死んだ
 本日の説教題を「神は死んだ」としたわけですが、もちろん、お分かりいただいていることとは思いますが、皆さんに申し上げたいことは、神などいないということではありません。こうして信仰が与えられていながらも、その生涯において、私たち信仰者は何度心の中で「神は死んだ」という言葉を呟くのでしょうか。主イエスの十字架の出来事が明らかにしてくれていることであり、このように実際に何度も、神を見いだせなくなるのが、こうして神を信じる私たちでもあるからです。また、そのような私たちであるからこそ、この日の御言葉を通し、神は活きて働いておられる、御言葉はそう私たちに語りかけてくれるのです。

 今日の旧約聖書、新約聖書、そのそれぞれに記されている御言葉、それは、そのような私たちの信仰を呼び覚ますと同時に、そこで呼び覚まされる信仰の内実、つまり、それがいったいどういうものなのかを明らかにするものです。そして、それは、「立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰があなたを救った」との主イエスのお言葉によって現されているものであり、このように、信仰が呼び覚まされ、希望へと大胆に進み行く中で現されるものが、私たちの信仰だということです。ただ、それが許されるのは、主イエスの「あなたの信仰があなたを救った」との言葉を聞いた者だけです。そして、ここではそれがただ一人であったと語られているわけですが、つまりは、信仰を我が身を持って現すことができるのは、主イエスの言葉を聞くその当事者だけであるということです。それゆえ、その当事者として、私たちは、主イエスによって、大胆に立ち上がることが求められもするのですが、そこで、下をうつむくようなことがあってはならないと、あるいは、そうすべきではないと、自らの信仰をそのように受け止めることにもなるのでしょう。それは、心を高く上げることは、私たちの信仰においては、正しいことでもあるからです。

 けれども、その一方で、私たちは、この日、今日の旧約聖書の中に、信仰に生きた一人の女性の次なる一言を見つけるのです。そこには、こう記されています。「どうか、ナオミ(快い)などと呼ばないで、マラ(苦い)と呼んでください。全能者が私をひどい目に遭わせたのです」と、御言葉は、この年老いた一人の女性の率直な思いを語るのです。それは、夫を失い、二人の息子を失い、逃げ場が奪われる中、息子の嫁ルツと二人でその生まれ故郷に戻ることになったのが、このナオミと呼ばれる年老いた気の毒な女性であったからです。そして、その偽ざる気持ちがこうしてその思いのまま記されているのは、私たちの信仰において、下をうつむくことが、決して許されないことではなく、そういうことはあるし、また、それ自体は、あっていいということだからです。ですから、神を呪い、自分と神とはまったく関係ないと、その過酷な境遇がナオミをして、御言葉がこう語らせているわけですから、このナオミと自分自身とを重ね合わせることに、私たちは後ろめたさを感じる必要はありません。けれども、その率直な思いがこのように語られているのは、私たちに分かりやすい慰めを与えようとしてのことではありません。

 私たちの多くが、もしナオミと同じ境遇に置かれたとしたなら、間違いなく同じようにこのナオミと同じ言葉を口にすることでしょう。ただ、その一方で、神の恵みを我が身で感じることが許されれば、今度は、その同じ口で神の御名を褒め称えることにもなるのでしょう。そして、神を呪うそのナオミも、やがて神を讃美する者へと変えられていくことになるのですが、ただ、一方では神を呪い、またその一方では神を讃美するというこの構図を、私たちはその当事者として、いや、当事者であるからこそ、この明らかな違いをどのように受け止めればいいのでしょうか。一方のその思いの中には、神様の存在が際立ち、また、一方の思いの中からは、神の存在は色あせ、その影すら感じることができずにいる、その中で、私たちが求めてやまないことは、神の存在が色あせることではなく、その存在が際立つことでもあるのですが、そこで、その喜びを全身体的に現すことになったのが、「あなたの信仰があなたを救った」と主イエスにこう語りかけられた男性でありました。

 ただ、主イエスから「あなたの信仰があなたを救った」と言われ、神様が活きて働かれていることを身をもって感じることになったこの男性も、最初からこの思いで一杯だったわけではありません。その直前においては、ナオミ以上に重い気持ちでいたのです。それは、御言葉にあるように、この男性が重い皮膚病を患っていたからです。そして、この男性の苦しみは、この重い病だけが原因ではありませんでした。そのことに加えて、この病ゆえに担わなければならなくなった悲しい現実、それは、病ゆえに家族は解体し、この男性に限らず、この病を負った人々は、孤立した状況の中、その人生を歩まねばならなかったのです。ですから、冒頭において、御言葉は、その苦しみの大きさをこう記すのです。それは、この男性と同じ病に苦しむ十人の人々が、とある村で主イエスを出迎えたときのことでした。その時、この十人の人たちは、「遠くの方に立ち止まったまま、声を張り上げ、『イエス様、先生、どうか私たちを憐れんでください』と言った」と御言葉は語るのです。主イエスを見つけ、すぐに主イエスのお側近くに駆け寄るのではなく、遠くから大声を張り上げ、主イエスに向かって叫ぶしかなかった、それが、この病に苦しむ人々の置かれている現実であったということです。

 このように、主イエスに向かって、『憐れんでください』と訴えるこれらの人々と主イエスとの間には、見えない大きな隔たり、距離があり、この距離を私たちは実際にどのように受け止めればいいのでしょうか。彼らが感じたであろう主イエスとの距離感、それが、遠くに立ち止まり、たたずみ、声を張り上げ叫ぶしかなかったということですが、それゆえ、この隔たりを社会、世の中から受ける差別、偏見と見なすこともできるのでしょう。つまりは、それを御言葉はこのような距離感をもって現したということです。けれども、それが悲惨であるのは、それが、100メートルなのか、それとも、200メートルなのか、そういった具体的数字が問題なのではありません。主イエスに近づくことも許されないと、自分自身でそう思わざるをえなかったところに、彼らの抱えた悲しみと苦しみが現されていると思うのです。それは、彼らが、家族と引き離され、寄る辺なき場所に身を落とし、なおその人生を生きねばならなかったことを物語るものであり、そして、そこにしか彼らは自らの人生を築くことができなかったということです。そして、さらに、私たちの胸を締め付けるのは、これらの人々と社会、世の中との隔たり、言葉に言い表すことのできないこれらの苦しみと悲しみが、神の独り子との出会いとその関わりにおいてこのように言い表されているということです。

 彼らにとって、主イエス以外にすがる者はなかったわけです。そして、このことは同時に、深い溝の向こう岸に彼らが置かれているその苦しみについては、当時のユダヤ社会の人々は、誰一人として、気にかける者はいなかったということです。つまり、神の民に黙殺されていたのが、ユダヤの民のその仲間でもあるこの重い皮膚病を患っている人々であったということです。それゆえ、彼らはこう思ったことでしょう。「神に見捨てられた」と。けれども、この人たちがそう思うことは、今申しましたように、ユダヤの人々の誰もが納得していることでもありました。つまり、ユダヤ社会に生きる人々は、彼らのその境遇をかわいそう、気の毒にと、仮にそう思うことがあっても、誰一人としてそれを真面目に取り上げる者はいなかったということです。それも真面目な人であればあるほど、この現状を変えよう、変えたいと思う者はいなかったのです。仕方ない、当然だ、そういう思い、そういう目で、この過酷な境遇に生きざるを得ない人々を見つめていたのが、ユダヤ社会における善良と目されている人々でもありました。それは、彼らが宗教的に不浄と見なされていたからです。ですから、ナオミ以上に過酷な人生を歩んでいたのが、この一人の男性であったのは間違いありませんが、ただ、重い病を負った人々に対するユダヤ社会のそのような仕打ちには、情だけでは決して解決を見ない、そうせざるを得ない客観的かつ明確な理由があったのです。

 この重い皮膚病と言われている病にかかった人々を社会から排除する理由は、ユダヤ共同体を共同体たらしめる律法に記されていることでもありました。それゆえ、ケガレと見なされる人々と関わることは、ユダヤ社会に生きる者にとっては、命に関わるほど危険なものでもあったのです。それは、神に反する行為でもあったからです。けれども、彼らのその過酷な境遇を考えるなら、私たちは、なおさら許せない気持ちにもなるのでしょう。神を盾にとって、そのような非道な真似をしていいはずはないからです。ですから、彼らが、主イエスによって癒やされ、この苦界から解放されたことを思いますと、主イエスの有り難みを改めて思わされもするのです。しかし、そこで、改めて御言葉をよく見ていきますと、あることに気がつかされるのです。

 遠くの方から大声で叫ぶこの重い病を負った人々に対し、主イエスは、その人たちのことを、その人たちの方をただ見ただけなのです。つまり、近づくわけでもなく、また、その人たちに手を置いたわけでもない、主イエスは、この人たちの方をただ見つめるだけで、そして、その主イエスがこう言ったというのです。「祭司たちのところに行って、体を見せなさい」と。そして、それに続けて御言葉はこう語るのです。「彼らは、そこへ行く途中で清くされた」と。つまり、主イエスと出会い、そこで直ちに彼らは清くされたわけではなく、清くされたのは、しばらくしてのことであったということです。そして、私はこの点が一番気になるのですが、彼らの社会からの排除を客観的に判定する立場にあった祭司のところに、主イエスは、どうしてその体を見せるようにとわざわざ言ったのか、ということです。

 このことはつまり、主イエスが当時の社会制度、体制から外れなかったということでありますが、つまり、差別、偏見を生み出すこの枠組みの中で行われたことが、主イエスの清め、奇蹟であったということです。つまり、この悲しい現実を生み出し、また再生産する枠組みのその根底にあるもの自体には、主イエスは手をつけなかったということです。ですから、制度の根本的な欠陥にすら手をつけることもない、主イエスのこの消極的とも言える姿勢を私たちはどのように考えればいいのでしょうか。今を生きる私たちの身の回りにも、様々な差別や偏見を見ることができますが、それが解消されずにいるのは、主イエスのこの消極的姿勢によるものでもあるのでしょうか。それゆえにまた、そこで、あることを思わずにはいられません。宗教が人を抑圧的状況に追いやり、その逃げ場すら奪う事実が未だ温存されていることを思いますと、しかも、それが、信仰の名を借りて、信仰深いと目される人々を通し繰り返されてもいる事実を見て行くと、主イエスのこの消極的姿勢が、そうした現実の後押しをしているとも考えられるのでしょう。ですから、「神は死んだ」というニーチェのあの有名な言葉がありますが、牧師の子でもあったニーチェがそのように神について語ったのは、社会に対し抑圧的に働く宗教制度への批判、つまり、逃げ場を奪い、自由を奪う教会の制度的欠陥に対してのことであったということです。「神は死んだ」と語ったニーチェにとって、神が死んだ世界は重苦しい灰色の世界ではなく、神が死んだことによってもたらされるバラ色であったということです。

 ただ、ニーチェをして「神は死んだ」と言わしめたものは、これは矛盾としかいいようのないことなのですが、皮肉なことに神を信じる人々のその真面目さゆえでもありました。真面目さと窮屈さが結びつき、結果、そのように言わしめることにもなったからです。ただ、主イエスは、ここではそうした真面目さを非難せずに受け入れているわけです。ですから、そこにまた、苛立ちを覚える人もいるのでしょうが、しかし、物事の枠組みをただ否定し、解体することでもっといい何かが生み出されることがあるのでしょうか。あるいはまた、無批判に自己保身のためだけに枠組みを肯定し続けることで、そこでもっといい何かが生まれることがあるのでしょうか。私たちが歴史から学んでいるのはこの点であるように思いますが、けれども、それだけにまた、主イエスのどっちつかずのこの姿勢に苛立ちを感じることもあるのでしょう。結果が伴えばまだしも、結果が直ちに示されないとき、私たちは、苛立ちを募らせ、「神に見捨てられた」、「神などいない」とつい口走ることにもなるからです。このように、神への肯定と否定との間を行ったり来たりすることになるのが、こうして神様を信じる私たちでもあるのでしょうが、けれども、ここに記されていることは、私たちがそのようなものであるからこそ、主イエスは、消極的と思える態度で臨み、そして、私たちが信仰の当事者として生きる道をはっきりと示そうとされたのです。

 そこで、二つの言葉に注目したいのですが、一つは11節の「間」という言葉です。そして、もう一つは、11節と14節にある「途中」という言葉です。主イエスは、エルサレムに向かうその途中、サマリアとガリラヤの間を通られたとのことですが、このサマリアとガリラヤ、つまりユダヤとサマリアとは、かつては同じ一つの宗教的枠組みの中で仲良く暮らしてもおりました。つまり、同じ神の言葉を神の言葉として受け入れていたということです。ただ、それがこのように袂を分かつことになったのは、それぞれが真面目に神を信じたからであり、また、その真面目さゆえに、神から人々を引き離すことにもなったのです。互いに排除し合うことになったのはそれゆえのことでもありますが、主イエスは、その「間」を通り抜け、十字架へと向かわれたのです。従って、この問題については何もせず、主イエスはただ通り過ぎただけなのですが、またそれは、ここで取り上げられている重い病についてもそうでした。祭司のところに行って体を見せなさいと言うだけで、それ以上のことは直ちにしなかったからです。そして、このどっちつかずの状態に置かれているのが、こうして神を神として信じる私たちでもあるのでしょう。ですから、私たちが、自分の罪や人の罪に敏感になるのは、このどっちつかずの自分に我慢がならないからだとも言えるのでしょう。それゆえにまた私たちは、迷うのです。それは、教会という枠組みの中を生きつつも、一方では、この世の論理に支配されてもいるからです。けれども、信仰は、そうした状況の中で現されるものだということです。

 サマリアとガリラヤとの間に、そして、人と人との間に、この「間」に私たちが見出すものは何なのでしょうか。さらに、罪人である私たちが集められ、こうして礼拝を献げ、そこに見出すものは何なのでしょうか。それは神様とイエス様であり、同時に、罪人である自分自身の姿です。けれども、そこには、間違いなく神様の救いとイエス様ゆえの赦しが置かれているのであり、従って、私たちがこうして礼拝を共にしている以上、神の正しさから漏れ出る者は一人もおりません。ただ、私たちが神を知り、キリストを経験したとしても、「間」は「間」のままであり、それで、そこがきれいに片付けられるわけではありません。けれども、そこに主イエスが共にいてくださればこそ、そこは、また別の意味を持つことにもなるのです。つまり、一般的に「ケガレ」と目されるその場所は、そのままでは人が近づくことのできない場所、近づきたくもない場所なのかもしれませんが、けれども、そこに主イエスが共にいますがゆえに、神様の創造の力が満ちあふれたところとされるのです。

 枠組みを維持したまま、主イエスが重い病を患った人々を祭司のもとに送り出し、また、重い病を患ったまま、人々が主イエスのその言葉に従って祭司のもとへとその一歩を踏み出し、その途中で清くされたのは、主イエスと出会った人々が、主イエスと自分自身との間にどれほど隔たりを感じようとも、また、自分と自分が生きる社会との間にどれほどの壁が置かれていようとも、そこに主イエスのお言葉が置かれているがゆえに、そこは特別な場所とされているのです。「途中」という言葉はそのことを現しているのであり、それゆえ、主の言葉に従う人々は、歩むその「途中」で必ず主の希望に与ることになるのです。ただ、そこで、自分はまだだ、だから、主イエスの言葉には期待できないと思う人もいることでしょう。けれども、その時、主イエスによって「あなたの信仰があなたを救った」と言われた、主イエスの言葉に従うその当事者の姿を思い起こしたいと思います。なぜなら、御言葉が語るように、「途中」は主イエスの御栄が表される場所であり、私たちを希望へと導くこの特別な場所にすでに生きているのが私たち信仰者だからです。希望に向かって、今週もまた大胆にその一歩を踏み出す私たちでありたいと思います。

祈り


  



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