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平和聖日 主日礼拝 説教 「主のために、人のために
                        日本基督教団藤沢教会  2020年8月2日
【旧約聖書】列王記上 17章8~16節
 8また主の言葉がエリヤに臨んだ。9「立ってシドンのサレプタに行き、そこに住め。わたしは一人のやもめに命じて、そこであなたを養わせる。」10彼は立ってサレプタに行った。町の入り口まで来ると、一人のやもめが薪を拾っていた。エリヤはやもめに声をかけ、「器に少々水を持って来て、わたしに飲ませてください」と言った。11彼女が取りに行こうとすると、エリヤは声をかけ、「パンも一切れ、手に持って来てください」と言った。12彼女は答えた。「あなたの神、主は生きておられます。わたしには焼いたパンなどありません。ただ壺の中に一握りの小麦粉と、瓶の中にわずかな油があるだけです。わたしは二本の薪を拾って帰り、わたしとわたしの息子の食べ物を作るところです。わたしたちは、それを食べてしまえば、あとは死ぬのを待つばかりです。」13エリヤは言った。「恐れてはならない。帰って、あなたの言ったとおりにしなさい。だが、まずそれでわたしのために小さいパン菓子を作って、わたしに持って来なさい。その後あなたとあなたの息子のために作りなさい。14なぜならイスラエルの神、主はこう言われる。
 主が地の面に雨を降らせる日まで
 壺の粉は尽きることなく
 瓶の油はなくならない。」
 15やもめは行って、エリヤの言葉どおりにした。こうして彼女もエリヤも、彼女の家の者も、幾日も食べ物に事欠かなかった。16主がエリヤによって告げられた御言葉のとおり、壺の粉は尽きることなく、瓶の油もなくならなかった。

【新約聖書】ヨハネによる福音書 6章22~27節
 22その翌日、湖の向こう岸に残っていた群衆は、そこには小舟が一そうしかなかったこと、また、イエスは弟子たちと一緒に舟に乗り込まれず、弟子たちだけが出かけたことに気づいた。23ところが、ほかの小舟が数そうティベリアスから、主が感謝の祈りを唱えられた後に人々がパンを食べた場所へ近づいて来た。24群衆は、イエスも弟子たちもそこにいないと知ると、自分たちもそれらの小舟に乗り、イエスを捜し求めてカファルナウムに来た。25そして、湖の向こう岸でイエスを見つけると、「ラビ、いつ、ここにおいでになったのですか」と言った。26イエスは答えて言われた。「はっきり言っておく。あなたがたがわたしを捜しているのは、しるしを見たからではなく、パンを食べて満腹したからだ。27朽ちる食べ物のためではなく、いつまでもなくならないで、永遠の命に至る食べ物のために働きなさい。これこそ、人の子があなたがたに与える食べ物である。父である神が、人の子を認証されたからである。」


主のために、人のために
  コロナ禍の中にあって迎えた平和聖日でありますが、8月の平和月間、聖フランチェスコの「平和の祈り」を祈り、また、「あなたの平和」を讃美するように、そこで私たちが覚えるべきは「主の平和」です。それは、先の大戦が、私たち人類が主の平和を軽んじたがゆえのものであったからです。従って、終戦から75年、その間の私たちの歩みは、過去の反省に立つだけではなく、主の平和を覚えるがゆえに、将来へと希望を繋ぐものでありました。ところが、75年が経ち、かつての記憶は以前とは比べようもないほどに薄まり、また、それに合わせるように、かつて感じた将来への希望もその輝きを失いつつあるかのように思います。では、この75年もの間、私たちが見つめてきたものも、私たちが感じてきたものも、夢のまた夢のようなものだったのでしょうか。

 かつて人々が感じた、あのどうしようもない気持ち、「もう嫌だ、たくさんだ、止めてくれ」との思いも、明日(アシタ)の内に見つめた将来の希望も、主の平和の内にあることを思い、また見つめる中でのものでした。また、だからこそ、信仰はよりリアリティをもって、戦後の社会で受け止められることにもなったのです。そして、それが、戦後生まれの私のような者にも伝わったのは、このリアリティをもって過去と将来を語る人々がいたからです。つまり、共に歩む主の平和の内に生き、生かされている人々が私の周りにいたからこそのものだということです。そして、それがここに集まる「私たち」ということでもありますが、ところが、かつてと将来とを繋ぐべく「今」を生きる人々がどんどん少なくなってきているのも確かなことです。ただ、このことは、人間には抗いようもないことであり、ある意味、自然なことでもあるのです。けれども、それと呼応するかのように明日の輝きが失われ、明日が少しずつ小さくなってきているとしたら、それは是が非でも避けなければなりません。

 ですから、そうならないためにも、私たちは、「過去」に学び、その上で自分の考えや気持ちをきちんと整理して、自分の言葉で「将来への希望」を人々に伝えていかなければなりません。しかし、それが思うようにはうまくいっていない、そう思う人は少なくないように思います。ただ、それは、私たちの努力が足りないからではありません。経験に基づく気持ちの共有は、そもそものところでハードルが高く、食べたことのない食べ物の味や臭いを人に伝えることが難しいように、過去の経験を人に伝えることは簡単なことではないからです。特に、国民的〇〇というものがあったかつての時代と比べ、価値観が多様化し、しかも、経験者の直接的な語りかけが少なくなってきている今、その難しさは容易に想像できます。ですから、そこで私たちがなすべきことは、その背後に隠れたものを見える形で現すということでもありますが、ただし、それは、セピア色の記憶の焼き直しや、デジタル技術を駆使した仮想現実の創出ではありません。私たちが世に現さねばならないことは、「主の平和」です。ですから、その難しさは、今に限ったことではなく、かつてにおいても同じように難しいものでもありました。けれども、過去と将来を繋ぐように世に広められていったのがこの「主の平和]であり、そして、過去の苦しみと将来への希望がそのように同一線上のこととして受け止められてきたのは、それを伝える人々が「主の平和」を伝えることの難しさを謙虚に受け止めていたからです。それは、難しさを謙虚に受け止め、頭を垂れるところに現されるのが主の御心であるからです。

 大切な何かを伝えようとするとき、声に出して語ることがなければ、その大切な何かが人に伝わることはありません。けれども、多くを語れば、それで何かが伝わるわけでもありません。言葉数がどんなに少なくとも、伝えるべきものの大切さは、それが大切だと分かっている人と一緒にいるだけで人に伝わるものだからです。そして、それは、語る者が語る上での難しさを、また、聞く者が聞く上での難しさを知っているからです。ですから、戦争への記憶が薄まりつつある今、私たちが大切な何かを伝えたいと思うなら、一つのことを心に留めたいと思うのです。それは、かつての悲惨な出来事の反動のように、かつてと同じ勇ましさ、同じ激しさ、そういうやかましく空しい物言いだけはしないということです。語ることと聞くことの難しさを謙虚に見つめ、その上で、市井の人々が感じたであろうその時の気持ちと波長を合わせるように言葉にしたいと思うのです。そして、そう強く思うのは、その当事者である方々が時折口にする「あの経験をした者にしか分からない」という言葉からも分かるように。戦後75年、私たちが向き合ってきたものは、明らかになった分かりやすいものだけではないからです。

 明らかにされない、明らかにできない、まさに戦争について語ることの難しさと向き合ってきたのが私たち日本人でもありました。ですから、戦争について語るということはつまり、だから、経験者と同じ気持ちにならなければならないということではありません。ある人が「人間は自分という宇宙の外に出ることはできない」と言っていたように、人と同じ気持ちになることはそもそものところで難しいことだからです。まただから、その難しさと向き合いながら、私たち日本人は、まさにこの難しさを抱きしめるように生きてきた、それが戦後75年の歩みだったのではないでしょうか。しかし、それにも関わらず、戦後生まれの次の世代の人々にその意が伝わったのは、言葉数が多かったからではありません。人と人とが長い歩みを共にしてきたからであり、かつての記憶と将来への希望は、そういう形で人々に伝えられてきたのではないでしょうか。ところが、その当事者である多くの人々が今その生涯の最期の時を迎えつつある、ですから、この後の20年後、30年後に生きる人々は、そのとき何と向き合い、何を抱きしめることになるのでしょうか。恐らくは、かつての人々が感じた「もう嫌だ、たくさんだ、勘弁してくれ」との思いと同じものではないのでしょう。では、かつての悲惨な出来事から、これからの人たちは何を学ぶことになるのでしょうか。私たちが向き合ってきた難しさとはまた違った形の難しさがここにあるように思います。ただもちろん、難しさを理由に諦めてしまっていいわけではありません。将来のためにも、あの忌まわしい出来事を繰り返さないためにも、過去の出来事から多くを学ぶ必要があるのは間違いないからです。

 そこで、思い出すのは、私たちの慣れ親しんでいる一つの御言葉です。それは、「信仰とは望むべき事柄を確信し、見えない事実を確認することです」というヘブル書の御言葉でありますが、この御言葉を思い出したのは、信仰の歩みを長く続けるということは、その中で、戦争、災害、感染症などの私たちの意に添わない出来事と直面させられるものでもあるからです。それゆえ、信仰は、その中で大きな意味を持つことにもなるのですが、この信仰を脇から支えるのが神様の知恵です。それは、信仰が指し示すところは、自分の意のままになるところに意味を置くものではないからです。むしろ、その反対に、意に添わない時の力として与えられているのが私たちの信仰であり、そして、意のままにならないことに苛立つ私たちの、その将来を開く力として与えられるのが神様の知恵でもあるからです。ですから、今日のそれぞれの御言葉の中に登場する人々は、その知恵を持っていたし、知恵ある者を通して、生き延びる上での知恵を与えられた人々であるということです。

 そこで、御言葉は、「あなたの神、主は生きておられます」と、明日への希望を開く知恵の言葉を一人の女性をして語らせるのですが、それゆえ、この一言をもって、母一人子一人の身の上にある女性の将来は開かれることになるのです。ただし、この女性の正しさが実証されたのは、この女性が正しい知識、処世術を身につけていたからではありません。この言葉を発したとき、この女性の心の内は、言葉への信頼で満たされていたわけではないからです。「あなたの神、主は」とこの女性が語っているように、神とはすなわち、あなたの神であって、私の神ではない、それが証拠に壺の中には一握りの小麦と僅かな油しかなく、だから、「死ぬのを待つばかりです」と言ったのです。つまり、明日が約束されていないことを分かっていたのがこの親子であり、ですから、「あなたの神、主は生きておられます」との発言は、そんな親子に食べ物を無心するエリヤへの遠回しな皮肉であったとも言えるのでしょう。けれども、すべての事情を分かった上でエリヤが語ったことは、「恐れてはならない、私の言うとおりにしなさい」との一言でした。

 イエス様がその後を追う群衆に向かって、「あなた方が私を捜しているのは、しるしを見たからではなく、パンを食べて満腹したからだ」と仰るように、意のままに生きたいと願わない者はおりません。ですから、そのような者にとって信仰は、意のままに生きる上での道具に過ぎないものだとも言えるのでしょう。なぜなら、世の中には私たちの意に添わないことが多く、そこで意のままに生きようとするなら、どうしてもその裏付け、保証となるものを求めざるをえないからです。ですから、そうした私たちの姿勢を打算的だと蔑むこともできるのでしょう。けれども、イエス様の言葉は、群衆を蔑もうとして語られているのではありません。信仰も信仰を支える知恵も、私たちをこの世的に優位な立場に立たしめるために与えられているものではないからです。それゆえ、私たちが立場に甘んじて言葉のつぶてを人に投げかけるなら、人を傷つけるだけでなく、自分をも傷つけることになるのでしょう。また、その反対に、自分が傷つくことを恐れ、何もせずにいることもまた、人を見殺しにするだけでなく、自分自身の立場をも危うくすることにもなるのでしょう。なぜなら、この度のコロナ禍からも分かるように、一蓮托生、同一線上に生きているのが私たち人間であるからです。また、だから、人を出し抜いてでも意のままに生きたいと願い、また、そのことに私たちは意を尽くそうとするのでしょう。ですから、その実現を私たちが幸福と呼ぶのはそのためでもありますが、ただし、私たちが意のままに生きたいと願い、そのために意を尽くそうとすることは間違っているわけではありません。間違っているのではなく、それが歪むことがあり、そのために命が脅かされ、神様に造られた人間の尊厳が深く傷つくことがある、それを知らされたのが先の大戦でありました。

 ですから、意のままに生きたいとの人々の願いが膨張し、また、そのために意を尽くすことを最大の目的、至上命題とする世界はいずれどこかで破れるしかありません。私たちはそのことを歴史から学んだわけですが、それは、私たちの命が脅かされ、人間の尊厳が傷つくことが神様とイエス様の願いではないからです。まただから、イエス様は、今日の箇所の少し後で、「私をお遣わしになった方の御心とは、私に与えてくださった人を一人も失わないで、終わりの日に復活させることである」と仰るのです。それは、イエス様の十字架の上に現されたものが神様の御心であるように、、十字架の上のイエス様に見つめられているこの世界と私たちは、終わりまで守られているものでもあるからです。従って、そういう意味で神様とイエス様と無関係に生きる人はこの世界には一人もいません。ですから、群衆に向かって、イエス様が「朽ちる食べ物のためではなく、いつまでもなくらならないで、永遠の命に至る食べ物のために働きなさい」と仰ることはこのことと無関係に語られているものではありません。つまりは、それが私たちに与えられている使命ということでもありますが、では、この「永遠の命に至る食べ物のために働く」ということはどういうことなのでしょうか。

 働くということは、油まみれ、汗まみれになって、何かのため、誰かのために身を粉にして働くことです。そして、それが、「恐れてはならない、私の言うとおりにしなさい」とエリヤがこの女性に語ったことでもありました。だから、この女性はその通り働き、「あなたの神」が「私の神」だと知ることになったのです。そして、そこで知ったことは、神様が自分の意に添う方だということではありません。神様の意に添わないと思い込んでいる異教の人々とも神様は共にいまし、その人をも神様は顧みてくださっていると、この女性が知ったのはこのことです。つまり、それが主の平安、主の平和ということなのですが、ですから、私たちの使命は、この主の平和を現すことです。そして、私たちにそれが許されるのは、私たちが神様とイエス様の意に寄り添おうとするからです。しかし、その真偽をその目で見極めることは簡単なことではありません。御心と信じたことが私たちの意に添わないこともありますし、また、意に添おうとすることが必ずしも御心に適ったものでもないからです。こうして、禍福はあざなえる縄のごとく理解されもするのですが、けれども、そこに間違いなく実現している主の平和なのです。

 転ぶものがいれば、手をさしのべ、また、空腹のものがいれば、パンを半分分けてあげ、そして、寂しさ、悲しさを覚えている人がいれば、その側を離れずに一緒にいてあげる、それが私たちクリスチャンであり、また、それが私たちの流儀なのです。それは、私たちが主の平和が実現したことを知っているからであり、そして、この「主の平和」を分かち合う使命にあるのが私たちクリスチャンでもあるからです。まただから、裏付けを求めずに私たちはそれを実行するのですが、先日亡くなられた中村哲さんは、そんな私たちの一人でもありました。

 中村さんの平和を実現するための活動は多岐に亘るものでありました。そして、その彼が最後に取り組んだのが水路建設でありましたが、中村さんが作ったものはそれだけではありません。アフガンの人々がそこで暮らす上で欠かせないもの全般に亘るものでもあり、その一つがモスクでしたが、ただ、このことはまた信仰的には矛盾をはらむものでもありました。そこで、ある時、ある教会での講演の際に、そのことを指摘されたそうですが、そこでこの中村さんの姿から私が思うことは、主の平和を実現するということは、矛盾を積極的に引き受けることであり、けれども、それが節操のないものであってはならないということです。つまり、そういう意味で、矛盾をはらみつつも、自分の欲や保身に駆られるものであってはならないということです。それが中村さんであり、私たちであるということです。だから、中村さんの活動は、そこに生きる人々がそこで生きて行くにはどうすればいいのかということを中心に置くものでした。つまり、それは、アフガニスタンの人々の伝統と文化を大事にするということであり、水路だけを築いたわけではなく、人々の暮らしが成り立つ手助けをするということです。

 そして、それは、分かりやすいもの、明らかにされているものだけを見つめるものではありません。そこに生きる人々と心を合わせるということであり、同時に、神様とイエス様と気持ちを共鳴させるように人と共に生きることだと思います。中村さんが教えてくれていることはそのことであり、ただ、それはとても難しく、簡単ではありません。けれども、そういう毎日、そういう日常を普通のこととして生きているのが私たちであり、そして、私たちにそれが許されているのは、主の平和が実現しているからです。ですから、この現実は、今までがそうであったように、これからも変わることはありません。戦後75年が過ぎ、私たちの見ている世界は大きく変わりつつあるのを思いますが、この変わることのない現実の上にもう一度しっかりと立って、将来の希望を見つめ、主のため、人のために労を惜しまぬ私たちでありたいと思います。

祈り
天地万有の造り主である、貴き主イエス・キリストの父なる神様
平和聖日のこの時、この世界とそこに生きるすべての人々に、あなたの変わらぬ眼差しが注がれていることを覚え、深く感謝します。どうか、そのあなたの眼差しの中に生きるにふさわしく、これからも私たちを用いてください。主の平和を実現する毎日を、私たちが過ごせますよう聖霊を豊かに注ぎだしてください。特に、このコロナ禍の中にあって、私たちが希望をもってこれからを過ごせますよう、励まし勇気づけ、あなたの使命に生きるものとさせてください。この祈りを主の御名によって祈ります。アーメン。


  



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