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降誕節第9主日礼拝説教「あなたの罪は赦される」

日本基督教団藤沢教会 2014年2月23日


説教:今野 善郎 師(川崎境町教会牧師)

  
【今野 善郎 師 略歴】(ご本人による)
1956年生まれ、58歳。
大学では山岳部に所属し、現在まで北極点遠征、インドヒマラヤやネパール・ヒマラヤなどの高峰に3回チャレンジ。大学在学中に洗礼を受け、日本聖書神学校入学。
インド・ヒマラヤでの登山中に雪崩で仲間と流され、自分一人助かる。生きづらさを抱えながらも、主に生かされたことを信じ、牧師を続けている。
2011年3月11日の東日本大震災を原発から60km離れた福島県須賀川で経験。地震と放射線被害の中、失ってはじめて気づかされた多くの恵みを知る。
日本聖書神学校卒業後、日本基督教団指宿教会、同鹿児島加治屋町教会、同須賀川教会牧師を経て、2013年4月より川崎境町教会。
現在、キリスト教保育連盟理事。
 1 数日後、イエスが再びカファルナウムに来られると、家におられることが知れ渡り、2 大勢の人が集まったので、戸口の辺りまですきまもないほどになった。イエスが御言葉を語っておられると、3 四人の男が中風の人を運んで来た。4 しかし、群衆に阻まれて、イエスのもとに連れて行くことができなかったので、イエスがおられる辺りの屋根をはがして穴をあけ、病人の寝ている床をつり降ろした。5 イエスはその人たちの信仰を見て、中風の人に、「子よ、あなたの罪は赦される」と言われた。6 ところが、そこに律法学者が数人座っていて、心の中であれこれと考えた。7 「この人は、なぜこういうことを口にするのか。神を冒涜している。神おひとりのほかに、いったいだれが、罪を赦すことができるだろうか。」8 イエスは、彼らが心の中で考えていることを、御自分の霊の力ですぐに知って言われた。「なぜ、そんな考えを心に抱くのか。9 中風の人に『あなたの罪は赦される』と言うのと、『起きて、床を担いで歩け』と言うのと、どちらが易しいか。10 人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを知らせよう。」そして、中風の人に言われた。11 「わたしはあなたに言う。起き上がり、床を担いで家に帰りなさい。」12 その人は起き上がり、すぐに床を担いで、皆の見ている前を出て行った。人々は皆驚き、「このようなことは、今まで見たことがない」と言って、神を賛美した。
 マルコによる福音書 2章1~12節
 

「あなたの罪は赦される」
 本日は聖書日課の聖書を通しまして、皆さんとともにイエス様の教えを学びたいと思っております。

 イエス様は、故郷のカファルナウム「慰めの村」と呼ばれる家におりました。家にいることが知れ、大勢の人々が話を聞きたく、また病を癒して頂きたく集まって参りました。丁度その時でしょう、4人の男が中風の人を運んできた。しかし群衆に阻まれてイエスの許に連れていくことが出来なかったので、イエスがおられる当たりの屋根をはがして穴を開け、病人の寝ている床をつり降ろした。たとえ大勢の人がいて近寄れなくても、屋根に戸板まま登って行って屋根をはがして穴を開けて病人をそのまま戸板にのせたまま吊り降ろす。中風(ちゅうぶ)の人、中風って最近あまり言わなくなりましたけども、脳溢血、脳梗塞によって、死の危険もありますし、肉体の痛みだけでなく、手足や言語のマヒ、顔面のマヒ、そうした後遺症も残る病気です。この中風を患う4人の友が、一途な必死の思いで屋根をこわして戸板を上げてイエス様の前につり降ろすという、これは暴挙ですね。一途な思いは分かるんですけど、ちょっと常軌を逸して狂っているような思いです。

 この友人たちは、満員電車に乗る時に私たちもホームで行儀よく列を作って待っているように、また、痛みをこらえながらも病院の待合室で名前を呼ばれるのをじっと待っているように、そんな風に行儀よく待つことは出来なかったのです。イエス様に近づこう、神様に近づこう、癒してもらいたい、妨げがあってもそれを突き抜けてこの友人を癒したい。彼らは、本当に狂わなければ友を癒やせないと思ったのです。

 「風狂」という言葉があります。例えば、松尾芭蕉が奥の細道に旅発つ時に、みずからの身を野ざらしにする覚悟で旅発って行った時の気持ちを表しています。そうして新しい境地を松尾芭蕉は開きました。また、僕は歴史小説が好きで、「世に棲む日日」という吉田松陰を書いた司馬遼太郎の小説があるのですが、その吉田松陰、明治の偉人たちを松下村塾で生んだ方ですけども、彼のモットーは「狂に生きる」、その狂いに生きると言うことが彼のエネルギーでもありました。私たちがイエス様に近づこう、信仰をもって生きようとする時、私たちを妨げるものが多くあります。それは、人が自分をどう見るか、そんな人の目であったり、常識であったり、そういうものを恐れて、私たちはどうしても二の足を踏んで、こじんまりとしてしまう。この4人の友人たち、この行動を見ながら、私たちに必要なものと考えた時に、この4人のように狂に生きる、熱く神さまに祈り、熱く信じて神さまの懐に飛び込んいくことではないかと私は示されました。

 私は20代の時に登山に狂いました。寝ても覚めても登山のことを考えていました。結婚する時に妻との恋に狂いました。結婚ってそうですよね。恋に狂って盲目にならなければ結婚できないですよね。冷静に相手を分析して結婚相手にふさわしいか、なんて考えたら一生結婚出来ないですね(笑い)。仕事もそうですよね。神様に与えられた仕事なんだ、本当に狂に生きなければ勤め上げることは出来ません。信仰もイエス様に従って行くには、狂に生きなければ本当に従って行けないじゃないか。なぜならば、一番狂ったのは、僕は父なる神さまだと思うからです。絶対なる神でいますにもかかわらず、人間を愛する故に、大事な一人子を敢えてこの世に送って下さった。また、イエス・キリストもそうです。神の子でありながら、十字架にかかって私たちのために身代わりとなる。狂っています。狂気です。私たちは、その父なる神、イエス・キリストに従って行くものとして、そうした熱いものを忘れてはならない。この4人の姿から先ず私はそう思うのです。

 次に、カトリックの神父の本を読んでいましたら、こんなことが書いてありました。「キリストは信者をつくったのではなく、弟子をつくった」また「キリストは信者を増やそうとしたのではなく、弟子を増やそうとした」「信者」と「弟子」のこの違いを強調していました。ハッとしました。「信者」、それは自分の救いに関心をおいている者。「弟子」、それは自分を捨て、イエス様に従って、隣人を救う者。そう言うふうに定義していました。私は、教会のこの礼拝に集っている時は「信者」で良いと思うのです。しかし、この礼拝を終えて、家にそして職場に遣わされたところでは、「弟子」とならなければならないではないか。

 もちろん、まず私たち自身がイエス様と出会って、イエス様に救われなければなりません。が、自分だけが救われるところで止まり、自己完結してしまう、それはいけない。健康な信仰って言うのは、自分が救われるために、隣人を本当に助けなければならない、目の前の人を支え、その支える必死な祈りと働きの中で、改めてまたイエス様のもとにひき戻されて、イエス様につながって、その支える人と共に救われていく、そういう形で起こるのだと思うのです。

 今日のところで、中風の人がイエス様に罪赦されて救われますけれども、私はこの戸板を担いだ4人もイエス様に一緒に救われたんだと思います。ここには救いの構図っていうか、構成があると思うのです。4人で四隅を支えているだけでなく、病める人を真中にして4人がいるという交わりの構図です。5節に「イエス様はその人たちの信仰を見て」とあります。病める者、小さくされている者、そうした者がどのように扱われているかをよくご覧になっています。この中風の人を癒すことによって、この5人の交わり全体をイエス様は癒される。私たちの教会も、また職場も学校も同じだと思うのです。病める者、弱くされている人が真中にいて、皆がそれを支えている構図か、それとも片隅に追いやっている構図か、どのような集まりの構図か、と言うことを問われなければならないと思います。

 弟子とは、そして私たちの教会とは、この4人のように病める隣人の悲しみ、痛みを共に担って、イエス様のところに何とか近づこうとしている群れなんだと思います。そこで主イエスと出会って、本当になりふり構わずに一緒に重荷を担って行こうとする、その交わりの構図、その中でイエス様は癒しを行ってくださる、それが私たちの教会であり家族なんだ、とうことを示されます。

 次に、6節に「ところが、そこに律法学者が数人座っていて、心の中であれこれと考えた。」とあります。先ず、象徴的な言葉に「ここに座っていて」とあります。一方、4人たちは一生懸命戸板を担いでいる。律法学者たちは座っている。そして「心の中であれこれと考えた。」とありますけれども。6節~8節で、心の中でかんがえる、という言葉が3回使われています。いつも自分は荷を担うことなく安全な所に居て、それは正しいとか、正しくないとか、誰が悪いとか、そんな評価ばかりしている。指1本動かすこともしない。律法学者、私たちに似ているところがあるかもしれません。自分の頭と経験で、小さな正しさ、ここで言えば、「神一人の他にいったい誰が罪を赦すことが出来るだろうか」、言葉では正しい。でも、その小さな自分の正しさで人を裁いて、平然として人をはじいていく。そうやって大きな罪を犯していると言うことを、自分が実は重い病を負っていると言うことに気付かないでいるのではないかと問わなければならないのです。

 そして、9節、10節に「中風の人に『あなたの罪は赦される』と言うのと、『起きて、床を担いで歩け』と言うのと、どちらが易しいか。」そう語りました。罪赦される、と言うのと、起きて床を担いで歩け、と言うのとどちらが易しいか、反語的な表現で、もちろん「罪赦される」と言う方が難しいのです。人間の本当の病は、肉体の病よりももっと深いところにあるからです。順番として、先ずその深い罪が赦されて、神さまとの正しい関係が結ばれて、神さまに受け入られ、次に人は初めて自分の足で立っていこうとして肉体が癒やされていくのです。罪の赦しが本当のスタート地点なのです。

 マルコによる福音書は、1章、2章で沢山の癒しをイエス様は行ってきました。それは奇跡を行った、と言うことを書こうとしているのではなく、神の国が始まった、神の子イエス様がこの地上に来られた、神の国・神の支配が、神の力がすでに私たちに及んでいるんだ、その証拠として悪霊が追い出されて、病が癒やされるのだと言いたいのです。罪の赦し、当時の罪、例えば重い病は何か悪いものがとりついて支配していると考えられていました。そうした悪い霊を追い出し、罪の赦しを宣言していく、そう言う形で神の国が始まっていることを皆に知らせようとしたんです。

 病をイエス様は軽視した訳ではないんです。肉体が弱まれば、精神的にも弱まっていきます。この肉体と精神・信仰、その二つはとても関係が深い、関連していることです。その上で、肉体の病、それは癒されてもやがてまた別の病にかかっていきます。そしてやがて私たちは死んでいきます。ここでのイエス様が癒そうとするのは、存在の病です。生涯にわたる主との深い絆の、和解の回復なのです。老病生死の中で大切なのは、神様に対して私たちが平和を持っているか、この一点に掛かっていると思うのです。そのぎりぎりのところで私たちは倒れもするし、立ちもする。最後の最後に死があります。そこで最も手放し難い自分を、死を安んじて委ねるべき方に、委ねることのできる方を私たちが持っているか、これが最後の勝負だ思います。だれもここから逃げられない。そこに私たちの信仰がかかっているのだと思います。

 キリストは「あなたの罪が赦された」と、この中風の人にいいました。それは人生の根本の、存在の病、罪、神との関係が断たれると言う罪、キリストが十字架で死ぬことによって、あなたの罪は赦されて、あなたは神に受け入れられて、神に正しく交わりに抱かれているのだ、そこにあなたの癒しが、本当の癒しがあるのだ、だからあなたは立ち上がることが出来る筈だ、そうイエス様は言われたのです。

 今日のこの聖書のテキストが丁度ここに当たったということもありますけれど、私は、自分の登山の話をするように、と導かれたのではないかと思って、ここに来ました。紹介にもありましたけども、私は大学山岳部に所属して、登山に明け暮れておりました。ですから学生時代は、日本のアルプスの高い山々に、また高い岩壁にも登りました。大学3年生(1978年)の時は、日本人で初めて北極点に立った日本大学北極点遠征隊のメンバーでもありました。日曜日に、山に登っていないで里にいる時は、不思議に教会に必ず出席しておりました。北極にいく時(1976年)に、私は洗礼を受けました。そして北極から帰って来て、大学の卒業を控えて、牧師が神学校に行くことを勧めてくれました。私は山がまだまだ登りたかったのですね。まだ学生を続けていれば、夏休み、冬休みは、まだまだ山に登れるな、そういう不純な、本当に安易な動機で神学校に行きました。だから、その1年後、インド・ヒマヤラ登山で雪崩事故に遭うと言うことによって、私の召命感が神さまに試されたのだと思うのです。

 1980年の神学校一年生の夏休みに、日本山岳会の学生部という各大学のメンバーと一緒に、インド・ヒマヤラのブリグパント山(6,777㍍)の未踏のルートを登る計画でした。登山早々の7日目のことでした。メンバーのアメリカ人でトム君と言う日本に勉強しに来ていた人も一緒に参加していて、彼と一緒に第1キャンプの5,260㍍の地点に登りました。雪がなくてズックで登れたんですけども、その夕方から豪雪となって、朝5時に目覚めた時は、テントがほぼ埋まっていると言うような状況でした。朝、外に出て、もしかしたら雪崩が起きるかもしれない、そんな危機を感じました。でも緩やかな尾根の上でしたので、まさかここからは起きない筈だ、と言うふうにどこか自分を宥めるような判断もしておりました。無線連絡で連絡を取って、ベースキャンプに待機する旨を伝えた8時5分でした。私はテントの1㍍脇に居て、無線交信が終わった時に、「ズン」という地響きのような音がして、表層雪崩という斜面全部がザァーと流れてしまい、もちろん両足が掬われて、何が起こったのか分からずに、ただ、同じスピードでトム君の入ったテントが脇を流れて行ったのだけを覚えています。

 気がつくと私は切り立った絶壁の30センチほど手前で止まっていました。テントに入ったままのトム君は、そこから250㍍ほどの崖を墜落して即死しました。本当に何が起きたのか、とにかくそこから自分を滑り落ちないように確保して、テントがあったろうと思われる所まで這い上がって行って、そこでもしかしたら埋まっているかもしれないと、一縷の望みがあって、素手で雪を1時間くらい掻いた。でも次第に冷静になって、これはどうも表層雪崩にやられたとわかり、それから手袋もない、靴もない、そういう中で幻覚・幻聴なども体験しながら8時間かけてベースキャンプまで戻りました。

 九死に一生を得て帰国した私には悔いが残りました。その時にリーダーでもあった私は、もっと早く雪崩の危険を感知して、雪崩からトム君と一緒に逃げなければいけなかった。トム君とも雪崩が来るかもしれない、と話してたんですけど、彼が大丈夫、大丈夫なんて言うので、私もついつい安心してしまったのですね。彼が大丈夫だと言っても、彼の首根っこでも摑まえてでも、もっと安全な所に逃げなければいけなかった。でも、若い未熟な私はそれが出来なかった。自分のミスで一人生き残ってしまったということが、自分で許せませんでした。なぜ私が生きて、すぐ横にいたトムさんが死んだのか。

 日本に帰ってきて牧師を訪ねて、牧師はこう言ってくれました。「生き残ったのには、深い神さまの計画があるからだ」と慰めてくれました。でも、30年以上たった今は、その通りだと思えるのですけども、その時は「神さまの深い計画」という言葉で自分の責任をごまかしているようで、受け入れられませんでした。自分を受け止めきれない、自分を苛み、自分を責めました。悶々とした半年でした。聖書読んでも、祈っても、自分が生きることのできる言葉と言うか、自分を支える言葉を求めましたけれども、説教も聖書も答えてくれませんでした。

 ひとつの思いが頭からずーっと離れませんでした。「あの時生き残ったのは、神さまの間違いではなかったか。本当は死ぬべきはずではなかったか」。ならばもう一度ヒマラヤに行って、その答えを出さなければ、私は生きていけないと思ったんです。神学校を辞め、そして翌年、今度はインドではなくネパール・ヒマラヤ、ヒマルチュリ(7,700㍍)に挑戦しました。結果として、私は7,000㍍付近で力尽きて、動けなくなって、隊としても登頂できませんでした。私も力尽きて、尾根で動けなくなり死ぬっていうのはこんな風に静かな思いで死んでいくのだな、そんなことで死を覚悟していました。その時に仲間が見つけ出してくれて、僕を助けてくれました。

 登山が終わって撤収して下のキャンプに下るときに、休んだ場所で頂上を振り返ったんですね。その時に、それまで自分をひっぱっていた糸が切れたような音がしたんです。「生きろ」という神さまの声が聞こえたような気がしました。それは「偶然に生きたのではなく、神さまが生かして下さったのだ」そう言う意味に私にはとらえられました。登山は失敗したのに、私の心の中には爽やかな風が吹き抜けていきました。

 その後に日本に帰って、不思議なことに気がついたのです。これは、今日持ってきましたけども、中学生の時にギデオン協会から頂いた聖書です。この聖書は、こう言うふうにビニールにして、私の登山の全てに同伴しました。停滞の時などにリックの上ポケットに入れていた聖書をいつも読んでおりました。あの北極の時もインド・ヒマラヤの事故の時も、ザックの上蓋の中に入れていたんです。そして遭難の時に、友達たちがトム君の遺体を捜索に行った時に、色んなものが雪の中に埋まっていました。テントも寝袋も靴も。しかし、その中に、不思議に雪の中にポツンと聖書が落ちていた、と言って友達が回収してくれました。こうして私の所に戻ってきていた聖書に、ハッと気がつきました。この聖書は、私の身代わりに落ちてくれたのではないか。この聖書は、死んだトム君と最後までいてくれたんじゃないか。それは私にとって、イエス様が身代わりに落ちてくれた、イエス様が死んだトム君と最後の最後まで一緒にいてくれた、そう思えたのです。私は、この戻ってきた聖書によって、イエス様に罪赦されたと知らしめられ、そう信じて神学校に戻らせてもらいました。そして、この生かされた生命を、神さまに、イエス様に捧げて生きなければならないな、そう思って今日まで歩んできました。

 本当に取り返しのつかないことをしてしまいました。神さまの前に恥ずかしさを私たちは引きずっています。今もフラッシュバックしてきます。その事故が、さいなみます、自分を。でも根本の深いところで、私は神さまに受け入れられている、罪赦されていると信じることができました。負わされた十字架は重い。でもその十字架は、恵みの重荷と、今の自分には思える。恐らく死んだ時に、神さまの前で、なぜ僕が生き残ったかと言うことを、神さまは教えてくれると思うのです。また、その神さまの前で、イエス様はとりなしてくれると思うのです。その時に、生かされた使命を自分が果たすことが出来たかどうか、神さまに聴きたい。恥じることなく、神さまの前に立ちたい、そう思っています。

 ここで、「あなたの罪は赦された」だから「起きて床を担いで歩け」。床を担ぐ、今まで病んで横たわっていた過去ですよ、その思い出したくない苦い過去を、全部背負って、立ち上がって歩け、そう仰ってるんですね。「家に帰れ」って言うのも、家とは、ありのままの姿で過ごせる所、ありのまま、あなたのままで堂々と生きていいのだ、そのように受け取ることが出来る。

 私たちは、誰もが恵みによってイエス様に罪を赦されて、今を生かされいるんだ、そのことを感謝し、覚えて共に歩んでいきたいと思います。
お祈りします。

祈り
天の神様、もう病がないかのようにではなくて、まず自らの重い病、罪を認めて、隠さず、薄めず、あなたの十字架によって罪赦され))た者として、感謝に生きることが出来ますように。だからこそ、隣人の病や弱さを共に担って、イエス様の前に共に進むことが出来る信仰を、私たちにお与えください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン